経済学を展開する力がぼくにはない

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史的唯物論まで書いてきたので、いよいよ経済学の分野に足を踏み入れているわけですが、この分野には足を踏み入れられないなと思っています。
実は、大学の時、資本論を読み始め、資本論を学ぶためには哲学を学ぶ必要があることが分かってきて、哲学を学びはじめました。
経済学は、大学時代の経済原論の講義がぼくの一番の財産の一つになっていますが、残念なことに活動上の仕事が忙しくなったので、大学の講義を丹念に受けたのは、機械制大工業の当たりまででした。絶対的剰余価値の生産と相対的剰余価値の生産、不変資本の充用上の節約という当たりの話で止まっているのです。
かなりの勉強不足が経済学にはあります。マルクスがエンゲルスとともに50年もかけて資本論を作ったのですが、ぼくはその資本論の第一巻の途中で学習が止まっているのです。
哲学については、さまざまな角度から自分自身も考えてきて、いろいろ自分でも感じている問題意識があります。どうすれば、唯物論と弁証法を自分のものの見方の基礎におけるのか、というのが最大の関心事です。しかし、経済学については、マルクス経済学の全体像をうっすらとでも把握できていないので、文章に書いていくには、力不足だということです。
唯物論と弁証法、史的唯物論と書き進んでいくと、必然的に資本主義社会の経済法則の解明である経済学という課題に直面します。この経済学の研究にマルクスの真骨頂があります。いわば、資本主義社会における史的唯物論の具体的な展開=経済学だともいえると思います。
マルクスは、商品の分析からはじめて、資本主義のより具体的な姿の分析へと一歩一歩と進んでいきました。具体的な事物の具体的な分析そして総合、資本論というのは、まさにマルクスとエンゲルスの2人の労作で最大の大書だったと思います。
ぼくもすでに50歳になりました。人生の中で資本論と向きあって読み切ることなしに人生を終わっていいものか。そういう気持ちもあります。
青年老いやすく学成りがたし。という言葉から決別しないと、人生悔いが残るでしょうね。
毎日、難しい話を読んでいただいた読者のみなさん。普通は、再考に再考を重ねて論理の展開を確かめるべきなのですが、ブログという形態のなかで、思いつくままに文を走らせてしまいました。
お読みいただいたことに感謝いたします。恐縮です。ありがとうございました。


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Posted by 東芝 弘明