委員会とがんばる人の取材

雑感

1時前から総務産業常任委員会が開かれた。役場が購入した排水ポンプ車の訓練があるので視察をすることになっていたので、総合文化会館のイベント広場まで歩くことになった。曇り空だったのでそんなに暑くはなかった。現地についてすぐに訓練が始まった。新しく購入した排水ポンプ車は、毎分5トンの排出を行うことのできるポンプ6台を搭載した車で、トラックの荷台には、ディーゼル型の発電機が2基載せられ、その前に右側3台、左側3台ポンプが置かれ、そのポンプの上にはオレンジ色のフロート(浮き輪)が掛けられていた。このポンプを内水対策として活用する。紀の川にある樋門が閉められると樋門から流れ出ようとする川の水が溢れて浸水が発生するので、水中ポンプを投げ入れて内水をホースで汲み上げ、堤防を越えて紀の川に投入するという作業を行う。本町の排水ポンプ班は2班、14人で編成され、訓練が積み重ねられ、すでに現場での経験も積んでいる。6台のポンプが稼働すると、25m×12m、深さ1.2mのプールの水を12分で排水する力を持っている。ポンプの重さは30㎏なので、2人ないし3人で浮き輪に鎖で装着したポンプを川の中に投げ入れることによって、使用するようになっている。
排水ホースは20mで100万円近くかかり、排水ポンプ車は全部で4000万円かかる。トラックの後部にはバルーン型の投光器があり、これは電動式でアームが伸びて高い位置まで登り、バルーンが膨らんで投光器になるというものだ。昼間のように明るい照明になる。

雨と風の中で、夜の作業も多いということなので、班員は腰に命綱を付けて作業を行う。7点セットと呼ばれる装備を身につける。安全の上にも安全を重ねて作業を行わないと命の危険がある。

この排水ポンプで藤谷川や桜谷川、西渋田谷川の樋門に行くことができ、作業ができるのでかなり大きな力を発揮するものになると思われる。「この排水ポンプを使わなくてもいいように」という意見が議員から出されたが、昨今の状況を見ると、この排水ポンプ車に期待しない訳にはいかないと思われる。

訓練の視察の後、委員会がおこなわれた。終わってからしばらくして、新城の「すぎのこ」まで車を走らせた。今日は「ソーラン新城組」の森亜紀さんへの取材だった。「がんばる人」の今回の取材は新城ということになった。あと5分あれば到着するかなと思っているときに溝北議員から電話があった。
「もう会場に着きました」
溝北さんは、会議が終了して参加できるようになったようだ。
「あと5分で着きます」
そう言ってから4分ほどで「すぎのこ」に到着した。
取材をさせてほしいという連絡をすると7月5日、「すぎのこ」でという連絡が森さんから届いた。子どもたちも集まって来てくれるという。
取材は午後7時30分過ぎに始まった。森さんから話を伺いながら子どもたちの様子を見ていた。中学生の子どもたちは、練習日のある日は、クラブ終了後、家に帰って急いで夕ご飯を食べて集まってくる。元小学校の校舎を改築して造った地域交流施設「すぎのこ」には、「ソーラン新城組」の子どもたちの練習場が造られ、部屋の壁2面は、ガラス張りになっていて、踊りを練習する姿が映せるようになっている。

「新城小学校が閉校になった平成24年から「ソーラン新城組」の活動が始まり、指導者になってほしいという要請が森亜紀さんに届いたのだという。新城小学校の廃校によって、小学生は笠田小学校と渋田小学校の2つに分かれ、中学生は笠田中学校と長谷毛原中学校に分かれることになった。こういう状況に至ったことを取材するまで知らなかった。バラバラになる子どもたちを集めて何かをしたいという中から「ソーラン新城組」が育成会の活動として立ち上がった。森さんは、「南中ソーラン」を踊りの上手な子どもから学んで指導を始めたのだという。

「子どもが苦手だった」
驚く話が飛び出した。「それで、男も女も、大人も子どももない、一人の人間として、一人の踊り子として接しよう」そう考えて指導を始めたのだという。こういう考え方が、森さんの中から生まれ7年間この考え方を貫いてきたことが驚きだった。大人が子どもに接するときに、上から目線になる人がほとんどだと思う。対等平等の一人の人間として接するというのは、なかなか学校の先生にさえいないのではないだろうか。

花園地域からお母さん2人が、子どもに付き添って参加していた。踊りの指導をしている森さんに対して、心底信頼している感じが溢れていた。子どもも大人もみんないい顔をして笑っていた。

ぼくと溝北議員の前で、森さんも含めて「南中ソーラン」を踊ってくれた。楽しそうに踊る姿を見て、いい取り組みだということを実感した。
「新城の運動会では、お母さん方も踊るんですよ」
子どもたちが踊った後、お母さん方は踊らないんですか、と尋ねるとこんな答えが返ってきた。

教室の骨組みがそのまま生かされて造られた「すぎのこ」の建物の中に入ると、子ども時代の教室の姿がそのまま残されているのを確認できる。遙か昔、50年以上も前、ぼくはこの教室の子どもだった。春になるとウグイスの鳴き声が教室に入ってくる学校で、ぼくたちは生活していた。自然の中で育った時代は、学校が形を変えても続いていた。

「ソーラン新城組」。この子どもたちの取り組みが、旧新城小学校を「すぎのこ」として蘇らせた。子どもたちに練習場所を提供し応援した人々の心が新城の中に溢れていた。この心を土台にして、子どもたちの踊りは成り立っている。生き生きと踊る姿がいつまでも余韻となって染み込んできた。
「すぎのこ」という名称は、ぼくたちが子どもの頃、新城小学校が作成していた子どもたちの綴り方の文集名「杉の子」から採られたものだった。名前の由来は、ぼくが思っていたとおりだった。ガリ版刷りの謄写版印刷の文集が目の前に浮かんできた。
(写真を載せたかったんですが、議会だよりの取材だったのであきらめました)。


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雑感

Posted by 東芝 弘明