エヴァンゲリオンという世界

雑感

3月会議の最終の本会議は半日で終了した。午後事務所で会議があり、夕方自宅に帰った。エヴァンゲリオンの「序・破・Q」を見始めて「破」まできた。物語から説明の部分を一切省いて、描写だけを行っている。14歳の碇シンジ君がどうしてエヴァンゲリオンに乗り込むことになったかさえ、碇君自身にも説明がなされないまま話が進む。見る人は、エヴァンゲリオンが戦っている使徒とは何なのかさえ分からない。見ていて見えてくるのは、セカンドインパクトと呼ばれる最終戦争のようなことがあって、生き残った人々が新東京という都市をつくり、ときどきやってくる使徒とのたたかいに備えているということだろうか。

エヴァンゲリオンという機械は、14歳の子どもたちによって操縦され、機械に乗り込むと体の動きと機械が一体化されるというか、シンクロするかという状況になる。使徒とエヴァンゲリオンとの関係を思わざるを得ないような描き方になっていて、「序」から「破」に進むと、この関係が少し見えてくるというような展開になる。

破壊的な描写が多いが、「序」から「破」へと進む中で描写がさらに斬新になるのを感じる。おそらく「Q」に進めば、さらに描写が進化するだろうと思われる。見ている人間にも話の進行が見えないので、何の説明もなしに戸惑いながらエヴァンゲリオンに乗る碇シンジ君の気持ちと同じ気持ちを味わうように作られている。

庵野秀明という変わった人物については、「プロフェッショナル仕事の流儀」を見た。これを見た後でエヴァンゲリオンを見たので、根底で作品世界を許容できている感があった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明