戦争の部分と全体

雑感

第二次世界大戦をめぐって、日本の軍隊は、節度を守っていたとか、規律ある軍隊だとかいう話があります。日本の軍隊の部隊の中には、そういった状況にあった部隊も存在したのも事実でしょう。しかし、日本の軍隊を中心として日本人が312万人死亡し、アジア諸国民2000万人が死亡した第二次世界大戦が何であったのかを考える必要があります。
ぼくの父親は、中国戦線で斥候という任務について、民間人の中国人を「何人殺したか分からない」と言っていたそうです。この話は従兄から聞かされました。すさまじい状況にあった部隊もたくさんあったということも事実でしょう。南方に行った日本の軍隊の中の戦死者のほとんどは、餓死したと指摘されています。そのような中でも、戦闘もほとんどないまま終戦を迎えた部隊もありました。

戦争の全体像を考えるときに、個々の事例だけを前に出して、全体を描くことは、戦争の本質を歪めることにつながります。戦争は、具体的な事実の積み重ねですが、全体像をとらえる中で、個々の事象を考える視点がどうしても必要です。死亡した312万人の日本人のうち212万人が軍人でした。100万人が民間人です。日本が中国大陸に進出し、侵略戦争を繰り返した結果、2000万人のアジア諸国民が亡くなった事実は、侵略戦争のすさまじさを物語っています。
特攻隊の作戦に参加させられていた人々の中には、仲間が死んだ中で「自分は死にきれなかった」という思いを抱いている人がいます。あの作戦が正しかったのか、間違っていたのか、いまだに答えが見つからないという人もいます。そういう思いを抱いている人がいる問題と、戦争の本質が何だったのかを見極めることとは、戦争をとらえる視野の広さに違いがあります。
戦争は、政治の延長であり、戦争遂行については、戦略を会議で決めていた方々がいます。特攻隊もそうやって編制されたもので、軍事作戦の一つでした。日本軍が、物資を現地で調達するようにして、日本から物資を運ばないようになったのも、平坦を担っていた船が沈没させられて、補給ができなくなり、戦争が泥沼状態になったときに下された方針でした。いわば、戦地に送られていた日本軍は、飢え死にすることが目に見えている状態の中で、戦争を継続したということです。こういう全体の状況は、最先端でいる部隊や軍人には分かりません。もちろん、部隊が敗北するときには、司令部も部隊がどうなっているのか、分からなくなります。日本とドイツとイタリアで、世界の再分割を決め、ドイツが電撃的にヨーロッパを一時的に制圧したときに、南方への侵略を拡大する判断をした日本は、ドイツの敗北と同じように敗北必至になった情勢下でも戦争を遂行したのです。それは、悲劇を何重にも重ねるものになりました。

特攻隊にさせられた青少年の中には、純粋に祖国を守ると信じて、遺書を書いている人がいます。それらの遺書に溢れている思いは、真に迫るものがあり、読むものに強い感動を与える力をもっています。そういう文章を読むと、「特攻隊員の死は犬死にだった」というような総否定の言葉を投げかけられない気持ちになります。
しかし、特攻作戦の本質は、そこにあるでしょうか。物資が枯渇していく中で、ボロボロの戦闘機の最後の使い道として、飛行訓練さえ十分に受けていない若者達を片道の燃料だけを積んで、死にに行かせた作戦の全体像にこそ、特攻作戦の本質があったのではないでしょうか。若い命を簡単に使い捨てた日本軍の作戦は、国民主権がなく、自由と民主主義がなかった当時の日本の一つの帰結だったのではないでしょうか。

ぼくは、「英霊」という言葉に強い違和感を感じてきました。この言葉は、戦死した軍人を称えているようにみえながら、戦争を遂行した勢力を免罪する力をもっています。「英霊」=優れた人の霊だと褒め称えることによって、戦争全体を褒め称えるような違和感があるのです。戦死した人々を誉めるのではなく、日本政府は、自ら犯した誤りを自覚し、戦死した人々に謝る必要があると思います。
「当時の日本政府が引きおこした戦争によって犠牲になった軍人、国民に哀悼の意を述べるとともに、心からお詫びしたいと思います」
こういう言葉を日本政府の代表が語る時代になってこそ、日本は戦争を深く反省できる国になるのではないでしょうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明