45年前の14日、月曜日

雑感

日曜日に掃除をしていなかったので朝8時からリビングの掃除を行い、洗濯を干してから家を出た。9時30分に人に会う。その人からは、一番上の女の子は友だちが少ないという話が出てきた。わが娘もそうだが、ほんとに人間関係の少ない若者は多いと思われる。日本は、長時間労働を最大の要因として、地域社会が壊れたことによって、子どもの生活環境が激変した国の一つだろう。大人の時間のなさが、子どもの時間のなさに直結している。たっぷりある時間の中で友だちと一緒に遊びの中で育つという環境を取り戻すことが、社会の再生につながるのだと思われる。

個人の尊厳の尊重への方向は時代の流れだが、これと平行して人間がバラバラになって、交流が少なくなる傾向は、リンクしているだろうか。リンクしていそうでリンクしていないという感じがある。日本には村社会があり、濃密でありつつ空気のような世間があった。この世間は、人間の行動を縛る掟のようなものだった。核家族化は、このマイナス面を忌み嫌いつつ進んでいったと思われる。この中で、他人との交わりを煩わしく感じ、地域社会での交流を謝絶するような動きがある。

長時間労働が、この地域での交流の謝絶に拍車をかけてきた。この傾向は必然的なのかどうか。
長時間労働が是正されて、たっぷりと豊かな労働時間後の自由時間が増えるだけで、地域における自由な交流は増えるだろうと思っている。個人の尊厳の尊重とともに地域における人間の豊かな交流が再建する。これがぼくの未来のイメージだ。

そう簡単にはいかないだろうけれど、豊かな自由時間が、地域に豊かな人間関係を再生する力になる。今度は村社会の掟の復活ではなく、お互いのプライバシーを守りながら、さまざまな交流が生まれるだろうというイメージをもっている。

午後、会議があった。一つ、深刻でもある事件が発生したので、会議後話し合う時間をとった。問題が深いので、17歳の自分のことをたどっていた時間が中断されてしまった。

17歳の2月14日は、曇り空だったが冷え込みが強くなり、紀北分院の待合室にも、冷気が強く差し込んできた。朝、早く、4時30分頃だったろうか。兄貴に起こされて「母が危篤だ」というところから45年前の2月14日、月曜日は始まった。

7時過ぎには、N家の従兄弟も集まってきて、お医者さんからの話を待っていた。ぼくと妹は、8時過ぎに中学校と高校に「母が危篤なので学校を休みます」という電話をかけに行った。紀北分院の玄関のロビーの奥にボックス型の公衆電話と自動販売機が並んであった。

母が亡くなる時間まで同じ14日の月曜日を追いかけていくんだろうなと日曜日には感じていたのに、すっかり事務所の話し合いの中で感覚が中断してしまった。
夜、家に帰って、「仏さんにお茶を供えて」と言われるまで母のことを忘れていた。ろうそくを灯して線香を立て手を合わせると17歳のときの記憶がよみがえってきた。

雑感

Posted by 東芝 弘明