配達は寒かった 2005年10月22日(土)

出来事

朝、日刊紙の配達に起きると、かなり冷え込んでいたので、真冬と同じ防寒ズボンと防寒服を着て配達に出発した。
また今年も「暑い夏」の次は「寒い冬」という感じになってしまった。
秋の日だまりの心地よさを感じる日はほんの少ししかなかった。日本は、春、夏、冬という気候しかないのかと思ってしまう。
地球温暖化による異常気象が誰の目にも見える形で進んでいるように感じる。
ぼくが子どもの頃は、あられが降り、初雪が降ると冬が始まった。春の訪れは雨によって感じていた。冬の間は雨など降ることはなかったということだ。
お盆過ぎになると、川の水の温度が変化するので、夏の終わりを肌で感じていた。夏が早く去る分だけ秋は長かった。9月、10月、11月と次第に寒さが徐々に増してきて、ある時期になると急激に寒くなるので紅葉が一気に始まったのだろう。赤い色や黄色い色が山にあふれ、燃えるように、透き通るように鮮やかだった。
子どもの頃見ていた紅葉をもう何年も見ない。
くすんだ赤い色の紅葉は、なんだか悲しい。
「北の国から‘89帰郷」を見たとき、冒頭で黒板五郎が、「今年は紅葉が綺麗でさあ」という語りを映像に重ねていたが、あのような綺麗な景色は、子どもの頃の記憶の中をたどっていかないと感じることができなくなった。
ぼくは一路、地球温暖化に向かっているという説には、異論を留保している。現代の気温上昇は、地球が氷河期に向かう前ぶれであるということを心のどこかで信じているからだ。
南極や北極の氷が溶けることによって、地球の温度が下がり、気温上昇は、気温低下に転化する──そういうこともあるんじゃないかと思いたいのだ。
昼から、日曜版の配達に行ったけれど、その時も寒かった。
もう少し、暖かくなってもらわないと、まだ冬支度ができていない。
そう、物理的にもできていないけれど、心の準備も整っていないのだ。
緑が抜けて赤や黄色に変化する鮮やかな自然の芸術をこの目で見たい。
太陽の光で透けて見える赤い葉を娘や妻にも見せてやりたい。


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出来事

Posted by 東芝 弘明