小説との向き合い方 自分流 2005年10月23日(日)

雑感

朝から10月27日におこなわれる治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の総会の資料づくりをおこなっていた。これに結構時間がかかった。
今日は、活動らしきものはしていない。

自宅に帰ってから、五木寛之さんの「蓮如物語」を読み終えた。この小説は、小学生向けに五木さんが書いた児童文学書だ。この本は、高野口町の駅で偶然、「町立文庫」という小さな箱の中に入っていた本を、30分あまり読んだことをきっかけに買い求めたものだった。
蓮如という人は、浄土真宗本願寺で1415年に生まれた人で、本願寺が極めて貧しかった時代に民衆に浄土真宗の教えを説き、念仏を唱えることによって極楽浄土がかなうことを広め、本願寺を建て直した人である。浄土真宗では、「真宗中興の上人」と呼ばれている人だ。
五木さんは、人間としての蓮如をとらえ、母が本願寺を出て行くときに残した言葉を心の支えにして生きた様を子ども向けの小説にしている。もちろんフィクションであるが、この小説は、優しく胸に語りかけてくる力を持っていた。

宗教のことはよく分からない。しかし、民衆の祈りの中には、苦しい時代を生きざるをえなかったなかで、平和や安定、幸福を願う誠の思いがあった。救いを宗教に求める気持ちには貴いものがある。
宗教が罪深くなるのは、宗教が権力に屈して、教えの中に権力への忠誠をすり込むときだろう。多くの宗教は、歴史の中でときの権力に取り入れられ、権力の支配の精神的な支柱にもされてきた。その一方で民衆とともにあって、権力の迫害を受けながら民衆を支え続けた宗教もあった。
キリスト教の歴史は、民衆とともにあった歴史と権力とともにあった歴史の両面をもっている。
最近は、お金儲けのために民衆をだます宗教も勃興している。これらは、しかし、宗教ではなく詐欺だ。
庶民とともにあった宗教の歴史の中には、学ぶべきものが多いと思う。蓮如という人物も民衆とともにあった宗教家の1人だったようだ。

小説にしても理論書にしても、学ぶことは多い。作品受容の仕方というのは人それぞれで、こうでなければならないというものは何もないだろう。
ぼくは、いつも作品と向き合うときには、自分の姿勢と結び合わせて作品を読むようにしている。「自分を激しく批判する」ところに書物の価値がある。
それでも、読んだ本の内容を忘れてしまうことは多いのだが、じっくり自分に問いかけることの積み重ねが、作品に向き合う姿勢としては大切だと思っている。
1冊の本から学ぶことは多い。学んだことは知識ではなく、生きる姿勢に生かしたいと思う。
そうは言ってもなかなかそうならない。しかし、生きる姿勢と結びつかないような、実践のない学び方だけは、したくないと思っている。実践といっても、直ちに自分を行動に駆り立てるものではなく、自分の生きる姿勢やものの見方考え方に融合して力になるものを意味している。
本から得た印象を深めていく。ぼくにとっては、まだ感想という形になっていない強い感慨こそ、出発点では大事だ。作品受容はこの印象から始まる。読んだら終わりではなく、読んだところからもう一つの旅が始まる。作品受容への旅立ちだと言ってもよい。
議員の一般質問は、主に論文やルポ、資料とのつきあいだが、これも作品受容という点で言えば、読んだところから新たな旅が始まるのだ。この場合は、質問という形で新たなものに生まれ変わらせなければならない。
自分の努力によって、少しだけだが未知の世界に入り込んで、その時々の到達点にもとづいて新たな視点を打ち出しながら質問を組み立てていくことは面白い。自分の知らない事実に分け入って、新たな発見を味わえるのは、謎解きのようなスリルがある。
物事は、それぞれが独立しているのではなく、密接に絡み合っている。1冊の本は、次の1冊への道しるべでもある。作品は、自分の中に根付いて、生きた力になる。
これが自分流の小説との向き合い方だ。
こういう読み方をしていると、どうしても作家そのものの考え方に興味がでてくる。いくつかの小説を読むと、その作家が書いた作品論やエッセイが読みたくなってくる。印象に残った作品については、作家の肉声が聞きたくなってくるのだろう。

作品についての裏話を知りたいというのではない。
小説は、特に作品世界を形成するので、作者の意図が成功していたり、成功していなかったりする。そこが創作の面白いところだ。
作者は、作品世界を最も深く知る読者の1人なのだと思う。作品世界が破綻せず、虚構の中でリアリズムを実現していたならば、作者は全知全能の神ではなくなる。作者といえどもこのリアリズムの世界で作品を描くことになる。
だからこそ、ときどき文芸評論が小説を超えて、作品の真実を明らかにする力を持つのだ。作家が尊敬する文芸評論家というものが成り立つのは、リアリズムのなせる技だろう。
蓮如さんへの旅は、もう少し続けたいと思う。それはぼくの場合、五木寛之さんという作家への旅にもなる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明