一般質問用の資料作成。

雑感

国会大きな問題になっている集団的自衛権行使容認。
これが憲法違反かどうか。政府の言い分も含めて、資料化してみた。
昨年の閣議決定は、3つの分野で憲法違反を重ねている。1つは、集団的自衛権行使容認。これがメガトン級の憲法違反。「自国と密接に関係のある同盟国が攻撃を受けたら、自国に対して攻撃を受けたと見なし、戦争に参加する」というのが集団的自衛権だが、言い方を変えれば、他の国同士が戦争しているところに、積極的に介入して参戦するということに他ならない。「他の国に支援要請を受けたから」──これが参戦理由。集団的自衛権行使が許されるんだったら、後方支援(兵站活動)も許される、PKO活動による治安維持活動や駆けつけ警護、捜索活動も許される、これが政府の言い分。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という状態だ。資料化してみると、本質がよく分かる。
2015年6月一般質問資料.001

集団的自衛権の解釈を変更したということだが、どういうことを理由にして変更したのか。長谷部恭男教授が、「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ」と言ったのがよく分かる。従来の見解と新3要件は全くリンクできていない。
結局は、憲法9条の条文とは無関係な論理構築になっている。憲法9条に触れたら説明がつかないので、9条の解釈を活用して「解釈×解釈」つまり解釈の2乗という作業を行って編みだしたのが新3要件。だから新3要件には憲法9条についての言及が全くなくなっている。理屈と膏薬はどこへでもつく。
この新3要件を具体化すると中谷元さんがいうように、的基地攻撃も法理論的に可能になるということになる。自衛のための戦争だけ可能としていた従来の見解と的基地攻撃も可能というものには、極端な開きがある。
憲法9条と新3要件の関係は?。この質問をぜひしてみたい。

2015年6月一般質問資料.002

砂川事件の最高裁判決と1972年の政府見解をどう変更したのか。こちらも資料を作ってみた。自民党は、高村さんの弁護士力に依存する形となっている。
高村さんの弁護士力は、すさまじい。個別的自衛権のことを述べた砂川事件判決の「自衛」という言葉をギューッと引っ張り出してきて、この「自衛」は個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないので、集団的自衛権も行使できると理解したということだ。
当時の自民党政府は、1959年の砂川事件最高裁判決を踏まえ1972年に集団的自衛権行使は憲法違反という政府見解を出している。ものすごく素直な論理だ。
高村さんは、この素直な論理に対して、死にものぐるいで挑戦して、砂川事件最高裁判決は自衛としか述べていないが、この自衛の中には集団的自衛権も含まれるといい、このことを踏まえれば、1972年の政府見解は、「政府見解のなかには法理の部分と、その最後の段階でそれをあてはめて、集団的自衛権はだめという部分がある」(与党協議・高村正彦副総裁、2014年6月13日)と言って、法理と結論を切り離し、法理から言えば「集団的自衛権行使容認は合憲」だとしている(この屁理屈はウルトラD級)。
砂川事件判決から集団的自衛権行使容認は違憲という結論を導き出した過去の自民党に対し、高村さんは、砂川事件判決から結論を導き出した1972年の政府見解は誤り、「集団的自衛権行使容認は合憲」という力業の見解を導き出したということだ。
その結果、「砂川事件判決を根拠にしている、最高裁判決は憲法学者の見解よりも重い」。どうだまいったか。と言いたいのだと思う。
しかし、高村さんの致命的弱点は、憲法9条の条文が全く出てこないところにある。

この苦労を安倍総理は理解できていない可能性がある。高村さんの涙ぐましい努力をスルーし、その結論だけ受けとめて、「今回の法整備にあたって、憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものだ」とミュンヘンで記者会見した。こんな言い方をしたら、高村さんは泣いちゃうかも知れない。1972年の政府見解を一生懸命ひっくり返したのに、安倍さんは、「ひっくり返す必要もない、同じなんだから」と言ってのけたことになる。

「高村さんの言っていることがなかなか理解できない、分かりにくい」という方もいる。分かりにくいのは当たり前。屁理屈=詭弁はいつの時代も分かりにくい。今日ぼくが書いた文章が変に入り組んでいるのは、高村さんの論理につき合ったからだろう。
かつらぎ町の若手議員は、「集団的自衛権も自衛権も同じ自衛なので憲法違反ではない」と言ってのけたが、結局は、高村さんも同じことを言っている。わが町の年配のある議員は、集団的自衛権行使容認は「時代の流れだと思います」と言ったが、「国際情勢の変化によって、他国への攻撃がわが国の存立を脅かす事態が生じる」というのは、化科学の発展によって兵器が発展したので危険が増大している、というのが根拠だから、結局は「時代の流れ」ということに等しい。

高村弁護士が詭弁を弄して、守ろうとしているものは、戦争に至る法案だ。人様に笑われるような論理にしがみついているところに、法案成立への執念と決意を感じる。この必死さの裏には、アメリカへの従属と忠誠心、戦争参加への執念がある。負けてはいられない。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明