憲法25条

雑感

岩出市に行って人と会い、昼からは相談事でその人の自宅を訪問した。ようやく一山越えて少し視野が開けてきたが、しんどい状況下で、その人はかなり苦しい精神状態に追い込まれていた。

日本はまだまだ豊かな社会だと思う。物は溢れている。しかし、この溢れている物が、人を幸せにしているとは限らない。
商品を貨幣に転化させる仕組みは、ありとあらゆる分野に浸透している。現金がなくても、プラスチックカードが銀行の預金口座に紐付けられていれば、しかも、現物のプラスチックカードさえなくても、スマホにそのカードが登録されていれば、もしくはスマホにペイペイが登録されてさえいれば。もしくは、インターネットでいえば、過去の履歴でクレジットカードの情報がクッキー機能によって表示さえできれば、次の日に商品が自宅に届くような仕組みがある。
これらの仕組みは、いかにして商品を貨幣に転化するハードルを低くするかという考え方に貫かれている。「命がけの飛躍」が問われている中で、これらの仕組みは、「命がけの飛躍」のハードルを低くしている仕組みだといえる。

手持ちの現金を増やす方法にも磨きがかかっている。これは現金を活用して現金+αを生み出そうとするもの。株の購入、金利の獲得などがそう。外国の銀行金利がいいので、自分のお金の一部を外国の銀行に渡して、利息で自分の資金を増やすなど。
大はやりのポイントは、消費を重ねていけば、その何%がポイントとして還元されるというもの。消費行動を促進させながら、ポイントで値引きするようなもの。

これらの新しい仕組みは、カール・マルクスが資本論で分析した商品とは何か、貨幣とは何かという本質がいかに現実の中で貫徹しているかを示している。小林製薬の紅麹の事件も、多くの会社の商品生産にまつわる事件も、使用価値と価値との間の矛盾が表れたものだ。しかし、生きる上での基本となる現金が手元から消えると、人々は、これらの仕組みの外側にはじかれ、大量に溢れる商品群から阻害される。この現実は何も変わらない。それによって苦しんでいる人は多い。

日本国憲法の第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」という規定は、生活保護という制度を生み出したが、現実の制度は、まだこの憲法25条を保障するところまでは到達していない。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」という規定がいかなるものであって、何を保障すべきかという点で、大ブレイクを実現することは、大きな課題となっている。

国民主権を文字通り実現する民主主義革命が行われ、国民主権を貫く政権が誕生すれば、この憲法25条が生かされる社会へと変わる。税金という形で集められた国民の共有資金を、国民のために使うことによって社会を変える。日本共産党は、この問題を見据えてたたかっている。

今日はこの夏最高の暑さとなった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明