学習のちから
笠田中学校の卒業式に出席した。卒業生の名前が読み上げられるのを見ながら、あらためて学ぶことの意味を考えた。子どものころ、そう中学校の時代、何のために学ぶのかなんて見えていなかった。小学校時代の学びは、牧野伸治先生という希有な担任と出会ったことによって、「学ぶことは面白い」というイメージを持っていた。学ぶことは考えることであり、考えることは答えを見つけることだった。
そうであったはずなのに、中学校に入ると、学ぶことの意味がつかめなくなっていた。それは高校生になって、より一層希薄になった。もちろん進学のために勉強は必要だったし、そのための自覚はあったが、ぼくの家に集まってくる兄貴の友だちやぼくの友だちと、たわいもない、バカな話を生活の中心において、遊ぶことの方が重要だった。
2月に18歳になり、そこから10日もしないうちに3月1日の卒業式を迎えた。その時点ではぼくの進路はまだ決まっていなかった。和歌山大学の夜間の試験は3月の半ば以降だった。そのほんの少し前、3月14日に日本共産党に入党した。この党への入党がなければ、和歌山大学経済学部の短期大学部に「マルクス経済学を学びに行く」という目標はできなかったと思う。
ぼくにとっての大学は「日本共産党」だった。高校時代、遊んでばかりいたぼくは、勉強の仕方も身についてなくて、ノートの取り方も確立していなかったのだと思う。赤旗の日刊紙を読むことと、経済学や哲学の本を読むこと、大学での経済学の講義が、ぼくの学びの中心になった。歴史は、日本共産党の綱領や党史を学ぶ中で、視野が広がって豊かになったものだった。さまざまな分野の本を読むことが、学びの中心だった。
20代の頃の学びは、そういうものだった。
30歳で議員になり、地方自治体に関わるようになった。自分の本格的な学習は、議員になってからのものだった。議会のたびに膨大な資料を手にし、それを理解するために努力する日々が始まった。そういうことを続けて36年。文章修行を自覚したのは45歳だった。ブログを毎日書こうと思い立ち、目標は、文章を自由自在に書けるというところに置いた。「原稿用紙を10枚書けるようになれば本が書ける」という齋藤孝教授の本に触発されたことが大きい。
「読み書きそろばん」とは、よく言ったものだと思う。この3つのことでエキスパートになれば、仕事のスキルは抜群のものになると思う。理解力の速さ(本を読むのは速くない)、物事を深くつかむ力(文章を自由自在に書けるようになれば、思考力はすごく鍛えられる)、理解したものをまとめる力(文章力が備われば向上する)、達人のような計算力(ぼくにはこれがない)、こういう力をもっていれば、議員の活動も飛躍する。計算の達人になれば、予算書を読む力は格段に高まるだろう。そういう力をもった人はうらやましい。
10代のころの学習は、世の中に出るための準備期間であり、専門的な職業に就きたいということを目標にできた人には、ものすごく重要な学習に期間になる。しかし、社会人になってからの学びは、生涯にわたるものに変わるだろう。それは、人生を豊かにする、自分を豊かにするものだと思う。
4年制の大学卒業までの期間で言えば16年間。この16年間の学びは、人生の中に置き直すと、本当に小さい。社会人になってからの学びの方が、はるかに時間が長く、しかも自分自身を豊かにすることとつながっている。
36年間も議員をさせていただき、ずっと学ばねばならない環境に身をおけたことは幸せだったと思う。
そういうことを卒業する若い世代に伝えたいなと思った。それはおいそれとは伝わらないだろうとも思った。
人間は、何歳になっても、学べば成長できる。脳は簡単には衰えない。








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