議会改革、自由討議の意味
決算委員会が開催された。1時間半ほどの準備しかできなかったので、全くの準備不足だった。ただ、決算委員会は、質疑の回数制限がないので、簡潔に短く聞いて、答えてもらうことを重ねることができる。これができるので、聞きながら話を組み立てることができたので、何を問うかだけ、エッジを立てれば、答弁を受けて話を組み立てることができた。
しかし、ある程度こういうことができたとしても、こんなことを繰り返していると、議員としての質が落ちる。最も大切なのは、地道にコツコツと、分からないなと思いつつ、徹底的に調べることに尽きる。
日曜日は、1日、時間をかけて準備をすることができるようにしたので、次の委員会は、今日よりもましな質疑ができると思う。本会議のなかの、議員の質問は3回という規定は、ないほうがいい。3回という制限があるので、質疑の仕方が変わってしまう。一問一答ができないのは、住民にとって不親切だろう。聞いていても話が錯綜して聞き取りが困難になる。町当局が一問一答を受け入れるのはリスクが高いというのであれば、通告制を採用すればいい。ただ、通告するための文書作成が必要になるから、通告を行うための日程の組み方が課題になる。
議員数の少ない議会のいくつかは、本会議場での一問一答方式を採用している。かつらぎ町議会もわずか13人の議会になっているので、本会議場での一問一答方式に移行することはできるだろう。委員会と本会議の違いは、「自己の見解(賛成反対に関わる意見)を述べることができる」のが委員会、「自己の見解を述べることができない」のは本会議となっている。これは、一切の意見を述べてはならないというものではなく、質疑の趣旨を伝えるための考え方を示すのは、何の問題もない。「自己の見解を述べてはならない」というのは、質疑の後に討論があって、自己の見解はここで述べるようになっているので、質疑では討論と被るようなことはやめてということだ。
会話方式で書くともう少し分かりやすい。展開してみよう。
「議会本会議の質疑では、自己の見解を述べたらいけないことになってる。自己の見解って何?」
「『自己の見解』っていうのは、賛否に関わる意見のことだ。つまり私は『この議案には反対です』とか『賛成です』とかの意見は述べないでくださいということだ」
「なんでそうなっているの?」
「それは、質疑の後に討論があるからだよ」
「『自分の賛否についての意見は討論で行ってください』ということだ」
「議会によっては、この理解が狭くて、議員は質疑でどのような意見を言っても駄目ってなっているところがある。でもこれは間違いだよ」
「一番の問題は何?」
「質疑をするときに、どうしてこんな質疑をするのかいう点については、簡潔に述べてもらわないと、なぜ議員がこんな質疑をするのか、話が見えないことがある。議会によっては、疑義を質すことだけに制限しているところがあるが、それでは深い質疑ができない」
「国会が一つの手本だよ。テレビカメラがよく入る一般的な質疑、例えば予算委員会の総括質疑などは、議案と違うことでもなんでも聞けるようになっているが、これは一問一答形式の一般質問のようなものだ」
「議案の質疑はこれとは違うの?」
「うん、違う。国会でも法案そのものに対する質疑はきちんと行われている。そのときの議員の質疑の仕方は、議員の質疑の調査研究による考え方を示して、法案の問題点を追及していくという形が取られている。これが参考になると思うよ」
「委員会のルールは、本会議とは違うって聞いたけど」
「委員会で議員は、付託された議案に対し、賛成、反対の意見も述べながら質疑をすることが認められている」
「どうして違いがあるの?」
「これは聞かれてもよく分からない。委員会の方がフランクな感じがする。ただ、委員会でも、議員は、自己の発言の訂正はできるが、発言の趣旨を変えてはならないとなっている。賛成という発言をした後で、この態度を変えて反対と言ってもいいが、それ以前の発言の訂正で賛成と言った言葉を反対と変えることはでえきない」
「ごめんごめん間違えた。ぼくの考えを変えるね、みたいなことは言いにくい。議会のルールは、堂々巡りにならないようにしているんだけれど、普通、地域や会社で行われている合意形成のための会議とは違いがある。これを今、変える動きが地方議会で盛んに検討されている。それが自由討議というものだ」
「自由討議って何?」
「議会には、提案説明、質疑、討論、採決」という流れがあって、議長が会議で『提案説明が終わりました』とか『質疑を終結します』『討論を終結します』などと宣告すると、いやちょっとまって、と言って、話をぶり返すことはできない。でも議会でない会議では、行きつ戻りつの錯綜した議論がかなり行われ、それが新しい知恵や創意に繋がることも多い」
「それで?」
「全国の議会では、このがんじがらめの仕組みの中に、議員相互による自由討議を導入しようという動きが盛んになっているんだ」
「なんか、自由討議がない議会って、変な感じ?」
「うん、議員は、議員個人が質疑の準備、議案に対する判断を決めて質疑をするんだけれど、この議案がどんな意味をもっているのか、議員間で協議する公式な仕組みがないんだ」
「どうして、こうなっているの?」
「アメリカが戦後つくった、個人主義的な議会の仕組みに一つの原因がありそうだ」
「しかし、この個人主義、面白いのは、議員個人が、質疑したら、自治体の当局は必ずこの質疑に答えなければならない。これが質問であろうと質疑であろうと貫徹する。こんなことは普通の会議ではないんだよ」
「うん?、どういうこと」
「普通行われている会議では、質問しても答えなかったり、異論が出されても司会者が無視したりということがある」
「それって問題ではないの」
「そう、すごく大きな問題なんだけれど、それが問題だと感じていない司会者も多いんだ」
「発言者が、意見を言っても、それが検討されない会議って、なんか、無視される感じ」
「そう、だから普通の会議を改善する努力が行われて、ファシリテーター論なんかが盛んに研究されているんだ。でも、議会では議員個人の質問や質疑が、自治体当局に無視されることはない。同意が得られなくても、必ず答えが返ってくる。ここに議会の仕組みの醍醐味と面白さがある」
「議会における自由討議って?」
「質疑の後に、必要であれば自由討議の時間を設けることが、具体化されていることが多い」
「どんな風にするの?」
「きちんとルール化されている議会では、議員が自由討議の発議をし、賛成する議員が1人いれば自由討議に移行する、もしくは議長の宣告で自由討議に移行するという形が取られている」
「それが行われたら、本会議場で話し合いが行われるの?」
「そうだよ」
「面白いかも」
「議員が出された議案に対して、自由に意見交換して、問題点を明らかにしていくプロセスは、かなり大事だと思われる。これが行われ始めると、議員の活動の質が高まる。議案に対する態度が変わったり、議員の共通認識が生まれて、修正案に繋がったりすると思う。話が質疑のことから自由討議に移っちゃったけど、議会改革は大事だということだね」
閑話休題。
本日の決算委員会では、短い質疑を重ね、問いだけで話を展開したので、休憩時間のときに「議員さんの質疑の目的は何ですか」とか「落とし所はなんですか」という質問が2人から出された。見解を一切述べない質疑だけで本質に迫る方法は、やっている方は面白いが、受けている方は、この質疑に答えたらどんな風に質疑が展開していくのかが見えない。そういう不安がある。もし、質疑が「自己の見解を述べてはならない」という意味を狭く捉え、「疑義だけ質せ」となれば、回数制限のない委員会における質疑は、自治体当局にとって、得体の知れない不安を引き起こすかも知れない。
もう一つ、議員側が事実を踏まえて、これはこうではないかと迫って認めさせるという形を取ってきたが、当局はこの課題をどう分析し、どう評価しているかという聞き方をいくつかした。この聞き方は面白い。こういう聞き方もありだなと改めて思った。



