ブログのすすめ 2006年4月20日(木)

雑感

毎日文章を書くことを日課にして、1年4か月目。「自由自在に文章が書けるようになりたい」という夢に少し近づいたように感じる。
毎日、平均すれば原稿用紙2枚から3枚の文章をBlogに書き続けてきたように思う。
2.5枚×365日=912枚という分量を書いてきたことになる。おそらく、コメントへの文章も含めると1000枚を大きく超えていることになるだろう。
文章は、書いて書いて書きまくることを通じてしか上達しないように感じる。
それは、書きなぐるということではない。文章の表現の細部にまで気を使いながら、自分の書きたいことをかなり自由自在に表現していく力をつけるということである。
文章力を磨くためには、現代詩をおすすめする。できるだけ簡潔に、しかもとぎすまされた表現で対象に迫っていくのが現代詩の神髄だと思っている。
詩を書くには、対象を見つめて本質をえぐる作業の積み重ねが必要だ。
誰もいない部屋で、原稿用紙に向かって、何度も何度も書き改めながら、事の本質、自分の感じたことの本質、核心に迫っていく。書いていた頃はそんな感じだった。
対象を表現しきれないもどかしさと苦しさが文章への感覚を磨く。
作品が完成し、自分の手を離れるときの感覚は、高台からグライダーを飛ばすような感覚に似ている。
俳句は、カメラのショットに似ている。5・7・5という文字の中に宇宙が宿る。

荒海や 佐渡によこたふ 天の川


松尾芭蕉のこの句を見るたびにスケールの大きさに感嘆する。
短歌は、「悲しき玩具」だ。

東海の小島の磯の白砂に 我泣き濡れて蟹とたわむる


啄木の歌には、心情があふれている。5・7・5から5・7・5・7・7に文字が増えると、短い文章に心情がこもる。
短歌も俳句も現代詩も散文を書く力になると思う。しかし、散文や説明文(評論)は、それぞれ違う側面をもっている。
エッセイは小説に近い場合もあるが、小説とはひと味も二味も違う。
それらの違いは、書いてみなければ鮮明にならない。
ブログは、普通の人が大量に毎日文章を書く機会を作るという点で秀でている。他人にお読みいただくという光栄を味わい、すぐに反応が返ってくるので非常に面白い。
文章力を付けたい人は、ブログを作って書くことをおすすめしたい。
一定の量をこなせば、自分の文章力がアップしていることに気がつくと思う。


久しぶりに啄木に触れて書いてみた。昨年の2月28日の日記鮮烈なる2月にも啄木のことを書いている。よろしければご覧ください。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明