応急対応の問題点は未来に生かす

雑感

「今日は工事のために水道が濁るので、水の使用については注意して下さい」というチラシと放送がなされていた。タイムリミットは午後11時。そのためにエコキュートの温水バルブを閉めてタンクの中に濁った水が入らないようにした。
水が濁る怖れがあるというだけで、不便な生活になる。
でも、日常的に実現しているさまざまなシステムがあって、はじめて便利な生活がある。それらの生活の機能が何らかの原因で作動しなくなると、日常生活は急激に不便になる。停電と断水が起こり、ガソリンの供給が途絶え、灯油も底をつくような状態になれば、たちまち便利な生活の全てが失われる。地震が発生するとこのような事態が起こる。神戸の震災のボランティアに行ったときに、水が出なくてコップ2杯ぐらいの水で顔を洗ったことがある。勿論何日もお風呂に入れないという状態になる。
阪神淡路大震災から22年が経っているが、そういうことを鮮明に覚えているということは、生活上の不便さが、どれほど人間に苦痛を与えるかを物語っている。

この前の台風のときに一晩避難所に身を寄せて夜を過ごした。多くの人と一緒に狭い部屋の中にいると、色々な匂いが入り混じるし、人の雰囲気に圧倒されて眠ることができなくなる。そういう非日常的な状態が何日も続くと、なれる面もあるだろうが、同時に適合できないまま体調が崩れてしまうだろう。
避難所の映像をテレビで見るのと、自分で体験することとはものすごく違う。

リアルな防災訓練をする必要性が語られているし、そういうことを行っている自治体も増えている。一晩、避難所で夜を過ごすという体験をすれば、人びとは災害時の対応をリアルに感じることができるし、災害を具体的に考えることもできるようになるだろう。

10月22日の台風による応急対応について、教訓を汲み尽くすことが求められている。あのとき役場が取った対応や判断には多くの問題があった。問題点を追及するのは、今後発生することが十分考えられる風水害と地震に対して、教訓を生かしてよりよい対応ができるようにと考えているからだ。視点は未来にある。行政は、追及に対して守りに入るのではなく、積極的に問題点を明らかにする必要がある。事実確認さえはかどらないような対応は論外だと言える。
現状から目をそらさずに教訓を汲み尽くし、今後に生かそうという姿勢で一緒に考えられたらいいと思っている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明