東京裁判を学ぶ

雑感

ぼくは、1960年に生まれた。戦争が終わって15年が経っていた。物心がついた頃には、20年以上が経っていたことになる。戦争というものを目で見ることのなかった世代。記憶に残っているのは、高度経済成長を駆け上る日本の姿だ。
小学校5年の時に1970年の万国博覧会があった。「人類の進歩と調和」というスローガンを覚えている。高度経済成長をへて70年代に入ると、公害問題が火を噴いた。このときに、万国博覧会は、「人類の進歩と調和」を掲げ、人類は、矛盾を克服して進歩していくというイメージを示していた。
高度経済成長を経て成長していく日本の中にいて、ぼくは、戦争というものの姿を鮮明には把握できていなかった。

27歳の時に、大阪の富田林に参議院選挙の応援に行った。党の専従者としてのオルグだった。20日間程度のオルグの間、誰かが住んでいるアパートを貸していただき寝泊まりさせてもらった。そこは、本が部屋の隅に平積みされているような部屋だった。お風呂はなく、トイレは共同、洗面所も共同というアパートだった。平積みにされていた本の中に富田林の歴史を写真で綴るというような本があった。この本を開くと、高度経済成長の時代を経て日本の町並みがものすごく大きく変化したことがよく分かった。1960年代半ば頃まで町並みは、戦前を引きずっていたが、60年から70年にかけてこの10年間は、街の姿を大きく変化させていた。この変貌にぼくは驚いた。ぼくの子ども時代の写真を見ても、小さい頃に着ていた服はみすぼらしいものだったのに、小学校に入る頃になると、こぎれいな服に替わっている。町並みが大きく変化するのとぼくたちが成長するのとは、リンクしていたことになる。

戦前と戦後の歴史は、生まれる15年前というほんのわずかな時間なのに、ぼくの知識は非常に断片的で、穴の開いたチーズのようだ。もちろん戦争を体験していないし、その時代をまったく見たことがないので、認識とイメージを補うためには、写真や映像、映画に頼らざるをえない。イメージの把握は、文章だけでは補えない。
現在の流行は歴史の書き換えだ。この動きは、次第に激しさを増しているが、ぼくたちの世代は、まことしやかに言われると、基礎がないだけに、たえず迷わされる。迷って当たり前だろう。知らないまま大人になったのだから。
「東京裁判は、勝者による裁きだった」と安倍さんが国会で答弁すると、「ホントかな」と思いつつも確証がない。ぼくにとって東京裁判は、まさに穴の開いたチーズだ。自分で真実を把握するためには、学ぶという方法でこの穴を埋めるしかない。
コンパクトに、分かりやすく理解するという点で、今週の「赤旗」日曜版の真ん中の見開き(18〜19ページ)は、分かりやすかった。見開きの短い記事では、東京裁判がなぜ起こったのか、何がどう裁かれたのか、分かりやすく示している。学ぶということは、ものすごく大切な行為だと思っている。学べば迷いも生じる。でも迷うからこそさらに学ぶことになる。戦前と戦後の歴史を深く広く学ぶことは、日本の現在と未来に深く関わる問題になっている。歴史の修正主義に対しては、大いに迷いながら真実を知る契機として「学び」をもって、切り返したいと思っている。

赤旗4月27日号、東京裁判の記事必見
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雑感

Posted by 東芝 弘明