Nさんの葬儀 2006年1月28日(土)
Nさんの葬儀には、多くの方が参列していた。悲しみに満ちた葬儀だった。
何度も目頭が熱くなった。女の人の多くは、ハンカチで目を押さえていた。
マルクスは、18歳の時の高校の卒業論文(?)で次のように書いた(記憶なので間違っているかも)。
「歴史は、社会一般のために立ち働いたことによって、自らを高めえたものを偉人と呼ぶ」
多くの人に親しまれ、別れを惜しまれたNさんのことを考えていると、このマルクスの言葉が浮かんできた。有名人になるとかならないとかの問題ではない。
どれだけ献身的にまわりの人のために力を尽くしたか、
それによってどれだけ自分自身を高めたか、
これが大切なのだ。
「人生に悔いはなかった。まわりの人々にお礼を言ってください」
喪主である旦那さんが、親族を代表してのお礼の言葉でこういう意味のことを紹介した。
Nさんは、いつの時期から自分の死と向き合ったのだろうか。
旦那さんが紹介した短い言葉は、自分の死と向き合い、覚悟を決めて生きた人の言葉だった。この言葉には、背筋を伸ばし真っ直ぐに前を見ているようなイメージがある。
結婚式の時の娘さん時代の写真やスキーに行ったときの写真、孫娘と夫婦3人で撮った写真、娘さんといっしょに撮った写真などが液晶テレビに映し出されていた。
家族は、花束を棺に入れるとき涙を流し、声を詰まらせて泣いていた。
久しぶりに下手な詩を書いてみたくなった。
バトン
肉親を失うときは、涙を流して送ってあげるのがいい。
悲しみと苦しみは、涙と一緒に流してしまうのがいい。
落ち着いてから、時間が経過してからもう一度、深い悲しみがやってくる。
その時には、流した涙が力になる。
真っ直ぐに生きた人は、
死ぬことを通して、
私たちに「生きる姿勢」をバトンとして手渡す。
ぼくの母もそのように生きた。
真っ直ぐに歩いた人は、私たちにいつも語りかけてくる。
楽しい思い出とともに。
ひとすじの道につながるバトン。
それは、もしかしたら苦しみのともなう道かも知れない。
しかし、そこには多くの人々がいて、
ともに歩む人間がいる。
しっかりと握りしめよ。
真っ直ぐに手を伸ばして、そのバトンを受けとめよ。
バトンには文字が書かれている。
筆による力強い文字。
あなたには、その文字がきっと読める。
ご冥福をお祈りいたします。