「車椅子から青空がみえる」 に寄せて 2006年3月6日(月)

本の紹介

9時に役場に行って一般質問の通告をおこなった。質問は4点。1つは、花園の砂利採取事業について、2つは、移送サービス、外出支援サービス等の拡充について、3つは、住民福祉課に社会福祉士の資格を持った職員を配置することについて、4つは、第2次合併について。
質問の順位は3番目だ。
一般質問は17日。議会は誰でも傍聴できるのでぜひご参加ください。
今日は午前も午後も会議だったので、数日前に読んだ「車椅子から青空がみえる」について書いいてみる。
松上京子さんは、人生を楽しむために生きているような人だ。
ここに至るまでには、長い道のりがあったことも本に率直に書いている。松上さんは、1988年10月、25歳の時に脊髄を損傷する事故にあい、以後損傷部位から下の筋肉の感覚が無くなった。車椅子の生活を受け入れるまでの話が、本の前半には克明に書かれている。ブログに本の表紙を飾る。多くの人が手にとって読まれるよう期待したい。

 私はいつまでも他人からかわいそうがられ、同情され続けるのはいやだ。悲劇の主人公みたいに、“障害にめげず、ひたむきに生きる”なんていうのもいやだ。
 もっと自然に、私らしく、楽しく生きたい。今すぐはムリかもしれない。時間はかかるかもしれない。けれど、「生きる」と決めた以上、暗くダラダラと生きるより、カッコよく人生を楽しむ方がいいに決まっている。


これが彼女が一番伝えたいこと、生きる姿勢のような感じがする。
障害を背負って生きるというのではなく、障害というハンデがあっても普通の人と同じようにいろいろなものに挑戦して充実していたいという思いがあふれている。
実際、彼女は、オレゴン州の大学に留学し、カナダのユーコン川を仲間とともにカヌーで下っている。東京や岡山に1人で旅行に行き、車を運転して買い物にも行く。
和歌山県の町村議会議員がみなべ町のホテルで講演を聞いたときも、自分で車を運転して会場に到着した。
「人生は楽しむためにある」
ぼくもそう思う。
しかめっ面をして生きるより、仕事をしていても、遊んでいても、家族と過ごしているときも、すべて人生を楽しんでいきたいという思いは、共通のものだ。
仕事も楽しむ、質問準備でウンウン唸っていてもどこかで楽しんでいる自分がある。
議会での緊迫したやり取りも楽しんでいる自分がある。
「人生を楽しむ」
────これをすべての基本にすえると波瀾万丈の出来事を面白く乗り越えていく姿勢ができるかも知れない。演歌のように湿った受け止め方もあるが、たとえば007のように(といっても悲しみ、苦しみのない人間はいないけれど)カラリと立ち向かっていく人生もある。
松上京子さんは、アメリカのオレゴン州・ユージーンに単身留学し、ユニバーシティー・オブ・オレゴンで9か月間学んでいる。
アメリカという国は、合衆国(合州国)だけ合って、州ごとにかなり違った顔をもっているように感じる。本で紹介されているユージーンという町は、アメリカに対する認識を一新させてくれるものだった。貧富の差がものすごく大きく、貧困の実態が映画を通じても色濃く表れる国だと思っていると、まったく違った顔がアメリカにはあるような感じがする。本田勝一さんがこだわる合州国という言葉。やはり合州国の方がアメリカをうまく表しているように思う。
(という風に分かったように書いているが、アメリカについての確信のなさは、アメリカに行ったことがないということの起因している。どうも文章の末尾があやふやになる)
彼女が行ったユージーンは、障害者が普通に町に出てきて暮らしており、風景の中にとけ込んでいる町だという。
アメリカは自己責任を当たり前のように問い、同時に人間と人間との連帯を大切にする国のようにも見える。ボランティアや寄付を求める活動が盛んにおこなわれているのもアメリカの一つの特徴なのかもしれない。
自己責任をもつこと、人間と人間との連帯を大切にすること。そういうアメリカから力を得た彼女が本の中に息づいている。
彼女はこの町で自分のできることに積極的に挑戦し、まわりの人々と心を通わせ、いい関係を広げる生き方を身につけたのかも知れない。
彼女は、障害者の方々の、おそらくは多くの方が願っている思いを代弁しているのだと思う。もちろん、すべての障害者が、松上さんのような考え方をしていないことも確かだろう。でも、彼女のように感じ、行動している障害者も多いというのも確かなことだろう。

 障害者との関わりで、この「接する機会がない」というのが最も大きな問題である。障害のある人に出会わない、出会わないから分からない、そのためにどう接していいか困ってしまい、知らないふりをしたり、過剰に世話を焼いてしまったりすることが多い。
 実際、私が初めて出会った車椅子の障害者は私自身であった。学校にもいなかったし、隣近所にもいなかった。町の中でも見かけた記憶がない。
 教育の現場でも社会の中でも、障害者を隔離するような政策をとっていたからだ。
 そのために後になって、わざわざ障害者を理解するための学習時間を作ったり、“障害者とともに生きる”といった目標を掲げたりしなければならなくなるのだ。


この下りには目を開かせられた。日常生活の中に障害者の方々がとけ込んでいるような状況はまったくない。こういう状況を広げていかないと障害者への理解は進まないだろう。アメリカのユージーンのような状況を実現するために、政治がしなければならないことも多いのではなかろうか。
この本の次に読みたいのは、「さよちゃんのママは車椅子」、松上さんの日常の子育ての話に今度は耳を傾けたい。

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Posted by 東芝 弘明