橋本市の後援会で話をさせてもらった

出来事

橋本市で共産党後援会の集いがあったので参加させていただき、30分話をさせていただいた。予定の時間は20分だったので時間をオーバーして申し訳ないことになった。橋本市の共産党市議選を中心に40年間を語らせていただいた。40年間市民の声を議会に届け、その声を実現することの大きな意味を語らせてもらった。3議席に挑戦して1議席になってしまったことが2回あった。その苦しい状況を克服し、定数削減の中で2議席を維持してきた苦闘の歴史が40年間に刻まれている。
ぼくが橋本市の選挙に関わったのは1983年。このときの選挙は3議席への挑戦で1議席に後退するというものだった。ここから10回、橋本の市議選挙に関わった。そこにはたくさんのドラマがあった。ここに関わらせていただいた思い出は、ぼくの中の大切な記憶になっている。

戦後の日本の歴史には、地域による日本共産党の運動が刻印されている。この運動の足跡は、決して小さくない。子どもの医療費の高校生に至るまでの無料化は、全国で日本共産党や住民の運動によって広がったものであり、給食費の無償化を広げる運動の多くも、その運動を後押しして来たのは日本共産党だった。

住民の声を議会に届け、その声の実現で住み良い地域をつくるというシンプルな運動は、戦後の民主的な運動の歴史を作ってきた。共産党の戦前の歴史は23年間、戦後は77年間ということだ。戦前の命懸けの国民主権と侵略戦争反対のたたかいは、困難を極めたものだったが、戦後の運動は、日本国憲法を土台に民主主義と国民主権を求め続け、平和を維持する運動だった。

ぼくは1978年、18歳になったときに日本共産党に入り、それ以来44年共産党員として歩いてきた。もう一度人生をやり直すことを考えても、やはり18歳で日本共産党に入りたいと思う。自分のものの見方考え方の基本に、科学的な視点をすえたいと思う。科学的社会主義と呼ばれる哲学と経済学を基本にして、世の中で発生しているすべての問題を、読み解いていく力は、この理論を学び生かす中で培われていく。この確信は変わらない。

人間は生きるときに、自分の胸の内に生き方の芯のようなものを、多くの人は持っていると思う。この大事な芯が大切にされる生き方をすることが、人間としての幸せの一つの核だと思う。世の中を良くしたいという運動に、一緒に参加していただきたい。そこに人間としての喜びもあるのではないか。という話もさせていただいた。

後援会では、今日ここに書いたことを、語ったわけではないが、日本共産党の100年の歴史の中で、僕たちの運動は50年近くを担ったということでもある。紀の川の北と南に分かれた地域の戦後の歴史の中で、日本共産党が果たして来た役割は決して小さくない。このことを改めて考える時間をいただけたことは幸せだった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明