終わったコンテンツ

雑感

「『人口ゼロ』の資本論」を読み始めている。この本はほんと、買って良かったと思っている。日本社会の展望を語る場合、賃金を抜本的に引き上げないと、日本社会の持続可能な再生産はない。そのためには格差と貧困を克服する必要があるという結論は、卓見だと思っている。根底に横たわっているのは、賃金が労働力商品の価値以下に切り下げられてきた結果、結婚できない、子どもを産み育てられないという困難に日本社会が直面しているということだ。ここに問題の本質がある。
労働力商品の価値の中には、次の世代を養育する教育費や子どもの保護費などが当然含まれる。労働力商品の価値以下に賃金が切り下げられ、共働きしないと生活できない状態に押し込められ、共働きをしても、子育ての困難がのしかかってこざるを得ない、正規労働者の長時間労働、非正規労働者の低賃金などという社会の枠組みがある。このような枠組みを変えない限り、持続可能性は生まれてこない。日本の資本は、目先の利益追求を求めてきた結果、自分たちの手で搾取を強め、労働者を過酷な実態に押し込めてきた。その結果、自分たちの存立基盤まで壊しつつあるということだ。

本来ならば、こういう経済状況に対して、政治が異を唱えて、持続可能な国づくりに舵を切ることが求められる。しかし、アメリカと財界のいいなりのまま、自公政権は国民に対してごまかしの政治を続ける。

人間の意識が変化したから、晩婚化や少子化が起こっているのではない。問題は逆。意識よりも実態が先にあり、実態を変えないと意識は変わらない。

人間の意識は、社会的存在によって規定される。客観的、物質的な生活の実態があるからこそ、結婚できない、子どもを作れないということになっている。意識が先にあるのではない。結婚しない意識は、格差と貧困が広がっている中で広がったものだ。格差と貧困の広がりという実態を変えないと、人間の意識は変化しない。日本社会の賃金は、人間の社会を再生産できないところまで切り下げられている。その結果として、諸外国との賃金格差が著しくなっている。

自公政権が最低賃金を抜本的に引き上げることを拒否している限り、日本社会の再生はない。政府与党は、そういう自覚なしに少子化対策を語っている。消費税の減税と抜本的な賃金の引き上げ。これなしには未来は開けない。そういう選択肢を描けない自公政権は、「終わったコンテンツ」だろう。この終わったコンテンツによって、日本社会は終焉をむかえるのだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明