多様性と統一

雑感

ぼくたちが子どもだった時代、『巨人の星』に夢中だった。戦争から帰ってきた星一徹は、酒を飲んでは暴れる父親で、戦場で負った怪我が原因で、自分がプロ野球界から追放された過去を持っていた。自分の果たせなかった夢を子どもの飛雄馬に背負わせ野球しかさせなかった一徹は、飛雄馬が巨人軍に入団した後も、成長を阻止するがごとく立ちはだかった。
このアニメは根性主義の典型だった。
『巨人の星』が終わった後始まったのは『あしたのジョー』だった。こちらは浮浪児だった矢吹丈が流れ着いたのがドヤ街の泪橋の下の丹下ジムだったというところから話が始まる。ジョーはパチンコ屋に行って台のガラスを外してチューリップに直接球を入れるようなやつだったが、ボクシングに魅力を感じて、のめり込んでいく。ここで描かれたのもハングリーと執念だった。

時代が反映していたと思う。
今の若者とぼくたちが育った環境は全く違う。根性主義やハングリーは古い時代の遺物のようになった。若者の多くは優しく、野性味の溢れたような人はほとんど見かけない。そういう時代に、どういう人間関係が形成すべきなのか。
会社や組織は、まだ新しい若者の変化に対応した働く環境を用意できていないように感じる。
社会は競争しているのだから厳しくすべきなどというのは、全く通用しない。今の若い人々が伸びていくような環境を用意できず、チグハグなことがたくさん生じているのではないだろうか。

根性を発揮してがんばるようなイメージではなく、一人一人の個性を生かしながら、努力する道は十分にある。多様性の中の統一というような道。そういう道が社会のなかに定着するように。そんなことを考える。社会の在り方や組織の在り方が根本から問われている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明