隣保館廃止後、どうすべきなのか?

雑感

仕事などで物事を前に向かって前進させるためには、文章を書くことがかなり大事になってくると思います。会議でさまざまな議論をおこなうことは、極めて有意義ですが、しかし、会議で決まったことを土台にして次のステップに進むためには、文章にまとめることがきわめて大事になります。
錯綜している議論に、きちんとした方向性を与えるためには、論点を整理して、文章にまとめて、新しい方向を打ち出す必要があります。

かつらぎ町では、現在、隣保館を廃止した後、6館ある隣保館をどのような事業をおこなう建物として位置づけるかが、一つの焦点になっています。
いま、必要なのは町当局側からの方針提起です。
隣保館運営審議会の答申は、隣保館の廃止を打ち出すとともに、町民財産として有効活用するという方向性を打ち出しました(行政の管理している施設に町民財産なるものは存在しません。あるのは普通財産と行政財産です。町民財産というのは、隣保館運営審議会が編みだした言葉です。議会答弁では「公の館」という答弁もおこなわれました。しかし、法律用語として「公の館」というものは存在しません。地方自治法に規定があるのは公の施設であり、こちらの方は法的な根拠を明確にもっています。現行の隣保館は公の施設に他なりません)。この答申に対して、かなり強い反発が起こりました。

当時の山本町長は、廃止の時期を延期しながら、「住民の意見を聞きたい」ということで、6館すべてで住民との懇談会を開催しました。
私は、佐野住民会館で懇談会に参加しました。
佐野住民会館における住民の意見は、「隣保館を廃止するのはいいけれど、現状のような活動はひきつづきできるようにしてほしい。使いやすい館として発展させてほしい」というものでした。
私の目から見ると、佐野住民会館で行われている活動は、公民館活動そのものです。隣保館と公民館の活動には違いがないように見えます。
サークル活動があり、館による自主的な行事があり、それらのことを通じて住民の交流がある。──これが隣保館の活動の姿です。福祉的な事業もあるという意見も強くあります。これは、隣保館が社会福祉法にもとづく建物であるところに根拠をもった主張です。福祉の向上に寄与するという視点は、今後も発展させなければなりません。でもこの視点は、生涯学習という観点をもつ社会教育がカバーできるものです。自治体によっては、生涯学習課が、福祉の事業も含め自治体のすべての事業を積極的に紹介する取り組みを行っている事例があります。かつらぎ町もこのような視点で、生涯学習の事業を豊かに発展させるべきだと思うのです。

6月議会では、担当課である人権推進室長は、「住民の側からは具体的な方向は何も示されていません」と答弁していますが、それは事実と食い違っています。少なくとも佐野住民会館について住民は、公民館的な活動を発展させてほしいと願っているというのが、住民の共通な意思だと思います。
答申が出て、住民の意向を聞いたので、今度はこの意向を踏まえて町が住民に答を示す必要があります。
井本町長は、3月議会では公の施設として管理することもあり得ると答弁していました。ところが、6月議会ではこの答弁をひっくり返して、公の施設としては到底管理できないという趣旨の答弁をおこない、職員を配置することは困難だとしました。
現状を踏まえて、どのような事業を行う建物にするのかという考え方が、全く明らかにならないうちから、答弁が後退しています。この答弁は、公民館的な活動を発展させてほしいという住民の声を否定しかねないものです。隣保館廃止後の館の運営方針を打ち出さないで議論の枠をしばるのは、おかしな話です。
前任者の山本町長は、同和対策事業を完全に終結するために隣保館の補助金を受けないことを明らかにしつつ、公の施設として活用したいという意志も示し、「現在以上に町の予算の持ち出しが増えてもかまわない」という見解を示していました。これは卓見でした。井本町長の答弁は、前任者の山本町長のこの見解を否定しかねないものだということです。町長は、企画公室長の時代に「隣保館の廃止問題は行政改革ではありません」としきりに説明していました。今回の答弁は、企画公室長時代の見解をみずから否定するものです。
私は、今まで6館のうちいくつかの館は、今後も公の施設として管理運営すべきだと主張してきました。それは、現行の公民館的な活動を保障する条件となるものです。私が求めてきたものは、住民の意向に沿う提案だったと確信しています。

人権推進室は、町長との懇談会で出された意見をふまえるとともに、かつらぎ町内における住民のニーズと行政課題の把握をおこない、現行の6館の活動内容を把握した上で、それぞれの館の違いも踏まえて、具体的な発展方向を示す必要があります。これは、住民との懇談会を開いた町当局の責任です。町は文書で方向性を示さなければなりません。文書で方向性を示さないと現在のどうどうめぐりのような事態は打開できません。
町の全体を見渡してものを考えているのは、かつらぎ町当局です。住民からさらに具体的な案を打ち出す必要もありますが、それはそれぞれの館単位にしかなりません。全局を見渡している町当局の責任は重いということです。
その際、町長の6月議会における答弁をどう扱うかが問われます。

私は、現時点では6館の活動内容のすべてを把握していません。以下に書くことは、私が把握している笠田地域についての考え方です。もちろん私案です。議論が前に進められるよう書くものなので、こうしなければならないという性格のものではありません。あくまでも1つの考え方だということです。
笠田地域でいえば、2館ある隣保館を公民館的な活動を行う拠点として発展させるという方向性を模索するべきだと考えています。
笠田公民館は、笠田ふるさと交流館を拠点に公民館活動をおこなっています。しかし、笠田ふるさと交流館の館の運営状況からいえば、貸し館としてはかなり有効に活用されつつあるので、ふるさと交流館だけではまかないきれないという問題が起こりつつあります。
また、笠田東町民会館と佐野住民会館で行われている公民館的な活動を保障する体制をとらないと、笠田ふるさと交流館だけにそれらの活動を集めることは不可能です。隣保館を廃止して公の施設でない状態にしてしまうと活動を発展させる保障が失われてしまいかねません。
私は、笠田ふるさと交流館を母館にして、笠田東町民会館と佐野住民会館を公民館の分館として発展させる事ができれば、今以上に公民館活動を発展させることができるのではないかと思いはじめています。
笠田ふるさと交流館には、図書室がありません。公の施設として住民に開かれた館にするためには、図書室を設置することが必要だと思います。一人で公民館に遊びに行ける仕組みをつくる必要があります。しかし、ふるさと交流館には、こういう事業を展開できるスペースがありません。分館ができれば、笠田東町民会館か佐野住民会館のいずれかに図書室を設置することも可能になります。笠田小学校に近い笠田東町民会館に子ども図書館を設置することも魅力的だと思われます。将来的には、町立図書館との連携が図れれば楽しい事業展開が行われます。

行政改革では、住民サービスを直接行っている施設から職員を引き上げることが、真っ先に行われていますが、住民との協働を考えると、住民サービスを行っている部署こそ、人員を配置してサービスを展開することが重要だと思います。発想の転換が必要です。

かつらぎ町は住民との協働を掲げている町です。いかにして住民による自治を活性化するのかに視点を置いて、隣保館の今後を考える必要があります。笠田地区には、児童館もないので児童館の併設も考えていただきたいという気持ちもあります。
提案しているような方向を実現するためには、公民館の運営委員会の活動を大きく発展させる必要があります。どのようにして豊かな公民館活動を実現するのかが、きわめて大事だと思っています。現行の公民館の運営には、数多くの課題が横たわっています。カギを握っているのは、住民が積極的に館の運営の担い手になるということです。それは、住民自治の活性化でもあります。
笠田東町民会館と佐野住民会館が公民館の分館になれば、この2つの館には運営委員会が置かれなくなるでしょう。すべてふるさと交流館にある公民館の運営委員会が3館を統括するようになります。運営がスムーズに行われるためにこの2館には、開館を保障する職員を配置しなければなりません。これらの館に配置される職員が、公の施設である保障になります。

隣保館を廃止して、新しい館として出発することは、同和対策事業を文字どおり終結して、新しい時代を切り拓くものです。隣保館が位置づけを根本的に変更して、住民自治の活性化に貢献しうる施設になれば、かつらぎ町のまちづくりに貢献する新たな力になるでしょう。今問われているのは、新しい町おこし、まちづくりのために、どう積極的に施設を活用するのかということだと思います。
行政改革による規模の縮小だけでは、新しいまちづくりはできません。隣保館廃止後の館のあり方をどうするのかという課題は、住民と行政との協働事業そのものだということを強調しておきたいと思います。


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雑感

Posted by 東芝 弘明