丹生都比売神社の修復作業

文化

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厚生文教委員会で丹生都比売神社の補修工事を視察した。総費用は2億5000万円だという。お社は、室町時代に建立されたもの、明治時代に建立されたものなどがあるという。できるかぎり古い木材を生かして補修するのが基本的な方法だという話を県の職員から聞かせていただいた。
写真のような状態が今日の作業場の姿だった。色が落ちている絵を塗り直していたが、現在の絵は明治時代に描き直されたものだという。この絵の下には、さらに古い絵が描かれていた痕跡があるという。これらの絵を再現するかどうかは、今後の課題になるというお話だった。
丹生都比売神社は、北に向かってお社が建っている。南にはお社よりも高い林がある。湿気が多くカビも生えやすい環境だ。横の柱の両端には、象や龍の木の彫り物が飾られている。日本には存在しない象の飾りがあることが、インドや中国の影響を受けていることを物語っている。

空海が高野山に根本道場を開いたのは819年である。空海は、丹生都比売神社の許可を得て高野山に聖地を求めたといわれている。これよりも150年ほど前に佐野には、佐野廃寺(佐屋寺)が建立されている。佐野廃寺からは神仏習合を証明するような証拠は出ていないが、佐野廃寺建立から150年、時代が下がると神仏習合という状況が生まれていた。仏教と神道の共存は、空海が高野山に根本道場を開いた以前から根付いていたものだったと思われる。
丹生都比売神社は、1700年の歴史をもつといわれている。310年頃からあったとされる丹生都比売神社は、高野山の歴史よりも500年ほど古いことになる。

最初の頃の神社の姿は、どのようなものであったのかは全く分からない。819年頃の姿も定かではない。現在残っているお社のうち、最も古いものは室町時代(1336–1573)のものだという。室町時代の初期のものであれば、空海の高野山開創よりも500年以上後になる。いずれにしても500年から700年前の建物が現在に残っており、それを補修している事業には、感慨深いものがある。

丹生都比売神社の丹生というのは、水銀を表している。朱色は水銀の色でもある。
「どのような朱色を使うのですか」という質問をすると深い答えが返ってきた。
朱には、水銀、鉛、鉄などを使ったらしい。水銀は量が少なかったので建物を水銀で塗るということは少なかったようだ。鉛は、変色しやすいのだという。光りの影響で白くなった陸路っぽくなったりするようだ。
土をつかったり鉄を使ったりしたようだ。丹生都比売神社のお社に塗られている朱の古いものを成分分析にかけると、成分として鉄が検出された。
しかし、ここからが難しい。鉄を使った朱色というけれど、実際はどのような色だったのかはよく分からないのだという。鉄によって作られる朱色には、いくとりものバリエーションがあるのだという。
一体丹生都比売神社は、どのような色合いの朱だったのか。
修復作業では、このことをできるだけ見極めて色を再現したいというお話だった。

建物や現在に残っているさまざまなものから、事実を丹念に調べて再現しようとする努力を面白いと感じる。丹念な事実の収集とその事実にもとづく推論は、まさに謎解きに満ちている。ミッシングリンクを探す作業だと言っていいだろう。なかなか答えが出ない問題に少しでも接近しようとするところに、歴史学の面白さの一つがある。

丹生都比売神社は、修復作業も観てもらいたいと言っている。現在のような状況はなかなか見られない。世界遺産の修復作業を是非見ていただきたい。

そうそう、本日の委員会で福岡議員から橋下徹維新の会代表(大阪市長)の慰安婦に対する「必要だった」という発言に対し、抗議し発言の撤回を求める決議案が提案され、審議をおこなった。
ぼくは、橋下さんの最初の記者会見の原文を全部読んでこの審議に臨んだ。
これに対する保守系議員2人の答えは、決議を上げることには反対というものだった。A議員は、「自治体の市長である人に対して決議を上げるのには反対」というものだった。もう1人の議員であるO議員は、「Aさんと同じ」と発言した。
ぼくは、審議の中で橋下さんの発言を読み上げた。この発言は、村山談話をどう思うかという質問から始まった中で行われたもの。5月13日の記者会見は、国政問題として維新の会の代表である橋下氏に見解を質したことも記者会見の席で明確になっている。
「そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨、銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときにね、それはそんな猛者集団といいますか、精神的 にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、まあ休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのはこれは 誰だってわかるわけです。」
ぼくは、「誰だって分かるというのは、ぼくたちも含まれると言うことです。このことについてはどう思いますか」と2人の議員の尋ねた。
A議員は答えなかった。O議員は、「当時慰安婦が必要だったというのはよく分かる。あの当時はそうだった」と言った。

こうなると橋下発言の擁護になる。採決の結果は2対2。可否同数の場合は委員長の判断にゆだねられる。委員長のS議員は、保守系議員の2人の意見と同じだといい、この決議案を否決した。
委員会では、決議案を可決できなかったので、議案提出権を活用して本会議に決議案を提出することになる。
委員会で否決されているので、本会議で可決するのは難しいと思われる。しかし、今日の委員会で、かつらぎ町議会の態度が問われる局面になった。
本会議場では、黙って否決するのではなく、きちんと意見を述べることが問われている。


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Posted by 東芝 弘明