街路樹の葉の色

雑感

昨日、和歌山に車を走らせながら、両側の街路樹を見ていた。紅葉が始まりつつあった。季節は、冬に向かいつつある。車の前に広がっていたのは、両脇の街路樹と真っ直ぐに伸びる道、雨の降る曇った空だった。目の前を見ながら車を運転することが多いのだけれど、もう少しだけ目を上に向けると、何時もの道が違ったものに見えてくる。
季節のことを考えることは少ない。いつも、意識の外から季節の変化は姿を現す。なんとなく空を見ているときに目に入ってきた景色が、自分の意識の中に季節感を呼び起こすというように。
暑い夏が長かったので秋は短そうだ。夏の暑さが厳しかったので、暑さのピークがものすごく高い山を作り、そこから駆け下りる気温は、はるかに深い冬を作ってしまいそうだ。気温は、山高ければ谷深しなのかも知れない。
もうすぐ銀杏の木が、鮮やかな黄色に変身して人々の心を捉える。息が白くなる季節が目の前に来ている。

子どもの頃は、霰が降り、初雪が降ると冬の始まりだった。初雪の後で降るのはすべて雪だった。それが田舎の風景だった。笠田に降りてきて、雪が降ったにもかかわらず、冬の最中に雨になる日があることに驚いた。雪に後降った雨は、冬は雪という概念を打ち壊した。その頃から温暖化は始まりつつあったのかも知れない。
70年代の初めのころ、誰も温暖化のことは言わず、世間に流れていたのは、光化学スモッグの注意報だった。これから先、人間の手によって生み出された資本主義という文明が、どれだけ自然を破壊して、人間の熅る基盤を壊すのだろう。鮮やかに変化しようとしている紅葉を見ているとそんなことも浮かんできた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明