最後の営業日に

出来事

総合文化会館の2階にシーズン・カフェというCafeがあり、議会の委員会があるときは、よく議員仲間でランチを食べに行っていた。このお店が、4月末で閉店するという話だったので、開いていたら挨拶のために立ち寄ろうと思っていた。
総合文化会館の前に車を止めると、玄関の所にある看板には営業中という表示があった。2階に上ってお店の中に入ると、以前ここで知り合いになったMさんが一人座っていた。

その隣のテーブルに座って、ケーキセットを注文した。これがこのお店での最後の注文になった。
「今日で終わりですか」
「はい、そうです」
奥さんは明るくそう答えた。

コーヒーとケーキが出て、Mさんと話になった。
かつらぎ町で学校給食を実現するのに24年かかりました、という話をするとMさんはものすごく驚いた様子だった。
「東芝さんは、もっと早く実現すべきだったんですよ。怠慢ですね」
という強い言葉が返ってきた。
24年間はいかにも長い。それは確かにそうだと思う。

「共産党だという限界があるんじゃないかねえ」
こういう言葉も飛び出した。

そうかも知れない。日本共産党の議員による提案だったから、かつらぎ町は重い腰を上げなかったという側面は確かにあったかも、と思われる。
「自民党の議員だったら、もっと早く実現したんじゃない?」
Mさんは、こうも言った。
24年前、残念ながら保守系議員の方々の中には、事態を先頭に立って切り拓くという機運はなかった。

24年前、ぼくたちが、学校給食の実現を求めたときに、当時の教育長は、「かつらぎ町が給食を実施していないのは良かったと思っている。お弁当から始まる愛情というのがある」という趣旨の発言をおこなっていた。
“愛情弁当論”
懐かしい響きがある。
日本共産党は、保守系議員の方々や公明党議員が、学校給食の実施を全く求めない中で、この“愛情弁当論”に向きあった。
「学校給食には、お母さんの愛情はありません。愛情のくらべあいではないです。学校給食は、教育の一環として取り組まれているものです」と主張して、さまざまな提案を行った。
学校給食法の学校給食についての規定を示して、一つ一つの事柄に対し見解を求めたこともあった。この中で給食の世論と運動が次第に強まっていった。

共産党議員による積極的な提案が、状況を変化させる。────ぼくたちは、これを確信にして少しずつ事態を変化させていった。
この数年間は、給食実施のために費やした時間となった。小学校給食の実施から中学校給食実施まで4年かかっているので、過去6年間程度は、実施のためのプロセスだった。この期間を差し引くと、実施への展望をひらくために18年ほどかかったことになる。

議員歴の若かった時代、議会全体を動かすという考え方はあんまりなかった。この発想のなさが、事態を切り開けない大きな原因だったのかも知れない。
「怠慢ですね。それはショックやねえ。学校給食なんて当たり前なのに、こういう町なんですか。ここは」
Mさんは、明らかに落胆した。
「いい話ができなくて申し訳ありません」
ぼくは、そう言った。

時間が来たので、ぼくが席を立つとMさんも立ち上がった。
マスターと奥さんに「お世話になりました。お元気で」と言い、Mさんには、「また何処かでお会いしましょう」と声をかけた。笑顔で別れたのだけれど、寂しい感じが胸の中に滲んできた。5月を迎える中で青々と茂った楠木の葉っぱは、風に揺れていた。1枚の葉もなくなる冬の楠木と葉の茂った楠木の写真2枚がシーズン・カフェには飾られていた。窓の下に見える楠木を眺めるのが楽しみだった。ゆっくりした時間がとれるのであれば、図書館で借りた本を開き、風の流れを感じながらコーヒーを飲むような時間をもう少し重ねてみたかった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明