「月明かりの公園で」を読んで

雑感,出来事

昨日、「民主文学」6月号に掲載された第12回民主文学新人賞の受賞作1編と佳作2編の小説を読んだ。受賞作は木曽ひかるさんの「月明かりの公園で」、佳作は、野山あつむさんの「CAVA!」、成田富月の「つなぐ声」だ。
毎月たくさんの作品を読んでいるわけではないので、他の作品と比較検討するような状況にはない。そういう人間が書く感想なので心もとないが、ぼくにとっては、この3作品は、それぞれ新鮮な印象を与えてくれた。
多くの人は、8時間以上働いている。人生の中で一番密度の濃い生き方が働く中にある。働いている現場の中で生きる人間をリアルに描くという点で、「民主文学」には他の小説にはない力を感じてきた。今回の新人賞の3作品は、どれも働く現場をリアルに描いていて引きつけられた。心が動いたのは、自分が議員という仕事に就いているからだとも思った。
小説は、自分たちが体験できない世界を鮮やかに示し、そこで生きる生身の人間を通して追体験させ、考えさせてくれるところに論文にはない独自の力があると思っている。議員は、人間の苦しみや悲しみ、心の揺れや葛藤、割り切れない思いや答えの出ない問題をリアルに描いている小説から多くを読み取るべきだと思っている。小説の世界に心をゆだね感じることができれば、その擬似体験は、自分の活動の中に何らかの力になって根を下ろす。自分の生き方や考え方に引き寄せて作品を読むようになれば、その作品は社会や人間を見る目を自分の中に育ててくれる。そういう意味でも、この3つの作品は新鮮だった。
ぼくには、佳作と受賞作の違いはあまりわからない。それぞれの作品は、かなり完成度の高いものだと感じた。

感想については、今回は、「月明かりの公園で」に絞って書いてみたい。
この作品は、生活保護受給者に対する就労支援員の物語だった。読んでいると、自分が関わった生活保護受給者のことが浮かんできた。
就労支援員の制度は、和歌山県北部というぼくの住む郡部では、県の振興局の中に置かれている。この制度がなかったとき、生活保護の担当者の中には、受給者に対し、「あなたには働く能力があるのだから働いてください。仕事は選り好みしなければありますよ」というような態度を取る人が多かった。人間は、そんなに簡単にどんな仕事にも就けるというものではない。運転手ならできるけれど腰を痛めたのでそれは無理になった、対人恐怖症なので人と関わる仕事にはつけないなど、仕事は一人ひとりの能力や障害にも関わっているので、簡単には行かない。まさに人間の有り様に深く関わるのが仕事というものだ。
生活保護に至る人々には、生活保護に至った歴史があり、その歴史は長い物語りである場合も多い。
ぼくが関わった相談の中には、中小企業の元社長さんがいた。この男性は、友人の連帯保証人になったために破産に追い込まれ、離婚し、家族がバラバラになった人だった。家の借金は結局娘さんが肩代わりした。この娘さんは10代後半から30歳になるころまでかかって父の借金を返している。
元社長さんは、破産し会社をたたんだ後も商売を続けていた。順調だった時期もあれば、うまく行かなくなった時期もあったようだが、年齢が高くなるに従って借金が膨れあがるようになった。離ればなれになって会わなくなった娘の名義を勝手に使って借金を重ねるというようなこともした。返済し終えた娘の元に借金の通知が届いた。
ぼくに相談があった時、この男性はすでに80歳を超えていた。人一倍商売に執着があり、回転資金を手に入れたら、まだ十分仕事ができると言い放った。しかし、実際は、商売をやればやるほど借金が増え、周りにも迷惑をかけるような状態だった。
ぼくは、話を聞きながら、「しばらく考えてみてください」という形で生活保護を提案した。1か月後、本人から生活保護を申請したいという話が寄せられた。自立心のかたまりのようなこの男性は、自立心ゆえに借金を膨らませ、会社の破綻から30年近く経って生活保護にたどり着いた。
「娘には何の迷惑もかけていない。ぼくは一人で商売をやってきた」
男性は、何の根拠もない自信に満ちていた。認知症も忍び寄っていた。30年という歳月をかけて生活が壊れ、人間関係が壊れ、ものの見方が壊れていた。残っていたものは、社長だった頃のプライドと根拠のない自信だった。
就労支援は、どうしても壊れたところからの再生を意味する。長い時間がかかって壊れたものは、長い時間をかけて修復しないと再生できない。貧困には、どうしても生きる姿勢の崩れや弱さが絡みついている。

「月明かりの公園で」という小説では、主人公の白鳥大輔の信頼を寄せながら行ったサポートが「裏切られる」シーンを描いている。大輔自身は、大手の不動産会社をリストラされ、仕事を点々とする中で離婚し、子ども2人とも離ればなれになりながら、養育費を捻出しなければならないという状況に置かれている。生活保護の就労支援の仕事は、市役所の1年契約の嘱託職員というものであり給料も安い。不安定な雇用状態にある大輔が、生活保護の就労支援を行うという設定は、和歌山県北部というぼくの住む郡部の雇用形態と同じだ。県の振興局に就労支援員が配置されているが、この方はまさに嘱託職員という位置にある。
就労支援をしても、パートかアルバイトばかりしか実現せず、就労してもすぐにやめてしまったりすることが多い中で大輔は、自身の生活と仕事の両方で、やり切れなさを抱えて生活している。

生活保護受給者の生き方に寄り添ってサポートしていくというのは、多くのしんどさを抱える仕事なのだと思う。生活が壊れ保護に至る過程は、多くの場合、その人を孤独な状況に追い込んでいく。保護に至る過程は、人間関係をこわしていく過程とも重なっている場合が多い。多くの場合、保護に至る人にも原因がある。親戚などの身内が見放し、あきれ果てている場合も多い。そんな中で優しく手をさしのべる支援員は、生活保護受給者にとって、すがりたくなる相手になる傾向も強い。何度も電話がかかってきたり、トラブルが頻繁に発生する。貧困状態は、精神的に不安定な状態も生み出すので、依存的な傾向に拍車がかかる場合もある。
このような状況に人間を追い込む社会の諸制度。生活が成り立たなくなったら極めて使い勝手の悪い生活保護しかないという制度の貧困。生活保護制度自身が、受ける人間の身ぐるみを剥ぐものになっているという矛盾があり、生活保護を受けることによって、蟻地獄のようにその制度から這い上がれないほど落ち込んでいくという現実もある。

ぼくが関わった相談事例の中には、今も傷が疼くような失敗がある。
それは、お母さんの元に息子から手紙が来たので見てほしいという相談だった。手紙には「生活が苦しいので仕送りができなくなった」ということが切々と書かれていた。お母さんは、「東芝さんから電話をかけて息子に仕送りを頼んでくれ」と言ったが、ぼくは手紙を読んで「とても電話できない」と断った。お母さんはぼくをなじり、もう相談することはないと激しくののしり、ぼくを部屋から追い出した。それで関係が完全に切れてしまった。
あのときどう答えればよかったのか。今考えてもよく分からない。

「月明かりの公園で」という題名は、仕事のあと毎日立ち寄るようになった公園で「月が青白い光を投げかけている」なか、「温かな陽でなくてもこの明かりがあればよいではないか」と思う大輔の心情から採られたものだ。大輔の就労支援の努力が実って、ある清掃会社から5人の求人依頼があったという話がでて、それがほのかな希望につながったというエピソードが「月明かり」へと結びついている。
同じようなしんどさを抱える現場で働いている人々にもこのような小説が届きますように。
「月明かりでもいい」
それを希望にと。


同級生のNさんのお父さんが亡くなった。看板を見て知ったのが夕方だった。何人かの友人にメールを入れて、連絡を取り合ってお通夜に参列した。友だちの親が繋がるようにして亡くなるようになった。通夜で会った同級生の姿が、何重にも浮かんでくる。自分が今の年齢になって親を見送る気持ちというものは、ぼくにとっては想像の域の話。6歳と17歳で父と母を亡くしたぼくとは違う深い思いがあるだろう。それは、長く関わり、長く過ごしてきた時間の重さによる違いなのかも知れない。でもそう考えることも想像の域の話。
通夜が終わって、彼女はぼくたち同級生の元に来て、言葉を交わした。
「来てくれてほんとに嬉しかった」
涙を目にためながら頭を下げた姿が印象的だった。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明