虎の威をかる狐

雑感

きつね

新自由主義のいう「新」というのは新しいという意味ではない。資本主義の黎明期の自由な競争を夢見て、グローバル化した世界経済の中で、市場に全てをゆだねて自由競争を行おうというのが「新」という意味だ。新しさはグローバルな世界経済という状況にあるのであって、自由主義が新しいというものではない。むしろ新自由主義は、資本主義の先祖返りのような側面の方が強い。
弱肉強食の荒々しい自由競争主義(利権の共有や醜い癒着の構造の上に立つ、すごくご都合主義的な自由競争ではあるが)は、根本において民主主義を破壊し、格差を是認し、資本の側への富の集中と国民の側への貧困の集中を是認するという点で、極めて復古主義的な側面をもっている。新自由主義が日本の戦前回帰とも容易に結びついているのは、新自由主義が極めて非民主的だからだ。新自由主義がファシズムを求愛するのも、その非民主性に原因がある。

自由と民主主義を発展させるためには、新自由主義と決別しなければならない。攻撃の矛先は、巨大な権力構造にこそ向けなければならない。しかし、日本共産党のように大企業と政治家の癒着を追及し、アメリカの日本における支配を追及するとあたかも自分が追及されているような気持ちになって、日本共産党を攻撃する人人が存在する。こういう人々は、現政権の応援団になっている。
しかしこのような応援団のラブコールは、政権の心を捉えている訳ではない。巨大な経済的利害を共有しているほんの一握りの勢力は、自分たちにしっぽを振っている「庶民」を本当の味方だとは思っていない。権力者にとって、自分たちにしっぽを振る「庶民」は、国民と国民を分断するために活用できる勢力にすぎない。国民の中にある怨嗟のような不満が、権力者に向かないようにするためには、さまざまな「敵」を「国民の中」に作ればいい。権力者が一緒になってその「敵」を攻撃すれば、「庶民」は、権力者が自分たちの味方だと思い込む。

ヒットラーが、国民の支持を得てユダヤ人を攻撃したのは、ドイツ国民を守るためではなかった。独裁者として野望を実現するために、ユダヤ人を攻撃すれば、排外主義が高まって自分に支持が集まり、独裁を成就させることができると計算していたからだ。ヒットラーは、ドイツ国民を支配するために、ユダヤ人という「敵」をドイツの中に「作った」のだ。
地方公務員や官僚を批判し溜飲を下げたり、中国や韓国、北朝鮮を徹底的に排斥する排外主義に心を寄せ、攻撃することによって鬱憤晴らしをしたり、社会的弱者を徹底的に痛めつけたりするのは、ジャイアンのもとで手下になって動くスネ夫と同じだ。まさに「虎の威をかる狐」。権力者に守られているという優越感のもとで弱いものいじめをしているのだ。

日本国民を苦しめているのは、政治が大企業の利益のために動き、国民の生活を破壊しているからだ。正規雇用をへらし非正規雇用を増やすことを望んだのは大企業だが、この利益を代弁して非正規雇用を拡大する法律を作ったのは、自公民政権だった。本当に解決しなければならないのは、こういう政治の歪みにある。同時に日本は戦後、アメリカの支配の下で政治も経済も動いてきた。アメリカの利益に従ってきた中で、日本経済や政治には根深い歪みが存在している。アメリカの要求は、日本を戦争に参加させようとしている。アメリカについていけば、日本がふたたび戦争に参加するようになる。ここにもメスを入れる必要がある。
国民が改革を求めるべき本質的な問題は何なのか。考えるべき問題はここにある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明