道化師のソネット 2005年4月17日(日)

雑感

朝、10時から和歌山市で会議がありました。車の中でさだまさしさんの「道化師のソネット」を聞きました。

ソネットというのは、14行詩だそうです。「道化師のソネット」も、最後のリフレインの一行を除き14行で構成されています。
この曲は、1980年に上映された映画「翔べイカロスの翼」の主題歌になった曲です。主演は、さだまさしさんでした。翌年、さださんは、「北の国から」の音楽を担当し、歌詞のない主題歌を作りました。
プロのカメラマンを目指していた栗原徹は、キグレサーカスを見てサーカスに魅せられます。サーカスの生きた写真を撮るためには、サーカスの団員にならなければ、と考えた栗原は、キグレサーカスに入団を申し入れ、やがてピエロのクリちゃんとしてサーカスの人気者になります。
この映画は、実話を元にして書かれたルポルタージュ「翔べイカロスの翼」が原作です。私は当時、20歳でした。この原作を読んだ後で映画を見た記憶があります。
ピエロのクリちゃんは、最後に綱渡りの最中に落下し、帰らぬ人となりました。20歳を超えてから団員となったこと自体、サーカスを始めるには遅すぎると言われました。しかし彼は、血のにじむような努力をして、ピエロになっていきます。
しかし、栗原は決してカメラマンとしての夢を捨てたわけではありません。あくまでもピエロは、サーカスの生きた姿やエネルギーをカメラに収めたいがために選んだ道でした。
原作本の中では、栗原は過労が積み重なり、足を踏み外したという見解だったと記憶しています。映画でも同じような設定だったと思います。
「翔べイカロスの翼」という題名は、原作本と同じでした。ピエロのクリちゃんは、イカロスと同じように大きく羽ばたくために努力を重ね、志半ばにして墜落し生涯を閉じました。この人の生き方とギリシャ神話のイカロスの姿がオーバーラップします。大空を飛翔したくて死んでしまったイカロスと重なるような生き方でした。
ギリシャ神話のイカロスは、クレタ島の迷宮ラビリンスに、父親とともに幽閉されます。そこを脱出するために大工であった父親のダイダロスは、鳥の羽をロウソクで固め天使のような翼を作ります。イカロスは脱出したとき、自由に空を飛べることが嬉しくなって、父親の忠告を聞かずに太陽に向かって飛んでいきました。しかし、太陽の神ヘリオスは、神聖なる神の場所へ近寄ろうとするイカロスに腹を立てて、太陽の熱を強めました。イカロスの翼はロウが溶け、羽根はばらばらになって墜落し、深い海に沈みました。
イカロスのこの話は、妙に心に残るものです。
さだまさしさんの「道化師のソネット」は、この映画のために作られた曲でした。この曲は、栗原徹さんの生き方に捧げられたもののように思います。
夢を持ち続け、努力し続けた栗原徹さんの姿が重なります。
実際の栗原さんは、同じサーカス団員を好きになったのではなく、ストリップ劇場の踊り子の一人を好きになったようです。悲しい境遇の中で、踊り子にならざるをえなかった女の子に心を寄せた青年は、この歌の歌詞と同じ心境だったのかも知れません。
映画を監督した森川時久さんは、「若者たち」という有名な映画を撮った方です。制作者の山口逸郎さんは、1965年に「オバケのQ太郎」を監督した方で、制作者としては、石田えりのデビュー作だった「翼は心につけて」(1978年)や「教育は死なず」、「思い出のアン」などを手がけています。
映画は「翼プロ」という独立プロ系の映画会社が作ったものです。独立プロは、映画会社を追放された方々が中心になって作った会社で、制作費を捻出しながら全国で自主上映運動をおこなっていた会社だと思います。
インターネットで調べると、「翔べイカロスの翼」には、もう一度みたい映画という感想が多く寄せられていました。さだまさしさんは、映画の中で玉乗りをやりこなし、一輪車にも乗っていたと思います。
「翔べイカロスの翼」は、今も全国各地で上映運動がおこなわれているようです。
「道化師のソネット」が胸にしみこむように、映画の感動は25年たった今も人々の輪をつないでいるようです。
和歌山市に向かう空は青く澄んでいました。


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雑感

Posted by 東芝 弘明