運動会 Episode1(2はありません)

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運動会は9時に始まった。入場行進の写真を2枚撮っただけで、ぼくは写真を撮るのをあきらめた。
毎年、プログラムに合わせてグラウンドにさまざまな機材を並べるのが、保体部員と本部役員の仕事だ。
これが結構面白い。どれだけ早く準備を完了できるのか。みんなそういう意識で動いている。
今年も、非常に順調に仕事が進み、プログラムが進行していく。
「飛び入りで保護者のリレーをしてもいいって言ってましたよ」
保体部長が話しかけてきた。午前のプログラムがあと5本ぐらいしか残っていない時だった。
「本当にやるの?」
「やりましょうよ」
言下に、断固たる意志が飛んできた。
「校長先生に話してくる」
ぼくは本部席に走っていった。
校長先生は、様子を見てみようかという、ゆるやかで穏やかな態度だった。
「先生、もうやるように決めて、アナウンスをしてもらわないと人が集まりません」
校長先生の背中を押す形になった。これでプログラムは確定した。
「アナウンスをするようになったで」
機材置き場になっている準備コーナーに戻って保体部長に報告した。
「そんなん、アナウンスだけではぜったいに集まらへんで。強制的に出ささんと」
N君が断固たる態度でそう言った。
「会長も出らな」
「えーッ、死んでまうやんか、かんべんしてや」
「あかん、あかん。何ゆうてんねん」
目が笑っていたが、許してくれそうな雰囲気はみじんたりともなかった。
「わかったよ」
全力疾走は、選挙以外したことがない。走ったら死ぬかも。
会場内を動き回って声かけをしてまわった。
「ハイ、わかりました」
何人かは2つ返事で出場してくれることになった。
会場を一周してくると保体部長は紙に参加者の名前をリストアップしていた。
「集まってきましたよ」
「そうや、先生にも出てもらわな」
誰かがそう言った。
「おお、そうやな」
ぼくも参加者の名前を報告して、もう一度本部席に走った。
本部席前にいたT先生をつかまえて、
「先生、保護者リレーに出てもらうことになりました。よろしく」
疑問と拒否の余地がないことを伝えた。
「はい、わかりました」
体育主任は、PTA保体部の意志に後ろ向きのコメントなどできない。
なかなか順調だ。
そのあと校長先生に報告した。
「先生、人数が結構集まりました。リレーできます。先生も走れますか」
60前の校長先生には、かなり酷な注文だった。
「3歩走ったらこけてしまうで」
校長先生はパスすることにした。5月晴れの運動会をきれいに運営するのは至上命題だ。
子どもの席にいたK先生とM先生に声をかけに行った。
同級生のK先生は、「絶対に走れやん、あかん、あかんで」といい、M先生は「わかりました」といいう返事だった。K先生の拒否する言葉には、真剣味が感じられた。
M先生は、「さっき来賓と祖父母の玉入れの時、保体部長が先導役やったのに、話しに行ったら、リレーの人を作くらなあかんって言って、来てくれなかった」と笑っていた。
目のくりっとした優しそうな先生は、子どもたちから森のくまさんと呼ばれている。
森のくまさんが疾走することとなった。観客という森の中で。
午前中の正規の最後の種目は組み体操だった。娘は6年生なので最後の組み体操となる。張り切ってがんばっている姿を本部席の横から見ていると、上に乗った女の子の足を少しよろけながら真っ直ぐに持ち上げて、ブリッジを完成させていた。
でも、見れたのはこれぐらいで、飛び入り種目のリレーのために入場門に移動した。
入場門の所には、男女も含めて結構集まってきている。本部席の放送を聞いて参加してくれた人が何人もいた。呼びかけに答えてくれる保護者は、笠田小学校の宝だ。ほんと。
こういう場合にもっとも手際のいいのがN君だ。彼は、元水泳選手。社会体育の経験が豊富な某自治体の職員。4チームに分かれて走る組みを作るために4列に並ばせ、偶数はトラックの手前に行き、奇数をトラックの向こう側に行ってくださいと簡潔に説明する。トラック半周のバトンリレーで、最後のアンカーだけが1周を走り抜けるという競技になった。
4人のアンカーの内、1人が体育主任のT先生、もう1人が保体部長だった。
N君は「もちろん走るよ」と言いつつ、知らないうちに手にはスタートピストルを持っていた。
「エッ、走れへんの?」
「走るよ」にやりと笑っている。あやしい。
用意、パーン
競技が始まると黄色の組みに1人欠員があったので、スタートピストルを撃ったN君に鉢巻きを渡して、組みの中に組み込んだ。ちょっとした企てはいとも簡単に壊れるのだ。
「俺、足痛いんやけどなあ」
たしかにそう聞こえた。競技の仕掛け人の1人は、元締めから1競技人になった。
スタート前からドキドキしていた。順番が回ってくると緊張が高まってくる。
ぼくは、Y君のバトンを受け取る役だったが、Y君は最後のところで競り合って走り込んできた。どの位置でバトンを受けたらいいのか、少し迷うと人間が交差して少し戸惑った。Y君の戸惑った表情が、脳裏に焼き付いた。
バトンを受けて走ると、ぼくの前を走っていたのはサーファーのM君だった。茶色の長い髪と青いTシャツの色が鮮明に目に入ってきた。背中を追いかけると少し間が詰まった。抜けるかも知れないと思うと欲が出た。でもすぐコーナーに入り、差が詰まらなくなった。
次の走者が目に入らない。バトンを渡すところまできて、ようやく相手の姿が目に入った。
走り終わっても、レース展開などほとんど目に入っていなかった。緑、青、赤、黄がどのようなデッドヒートを繰り広げているのか、見ているようで見ていなかった。
アンカーにバトンがわたった。
先頭はT先生だった。保体部長は、かなり後ろの方でバトンを受け取った。
速い。前を走る走者を1人抜き2人抜き(事実はそうだったのか定かでない。これが事実だと決めて書いている。これでいいのだ)最後の直線でT先生をとらえた。差が詰まっていく、ゴールの白いテープが見える。人間1人の差で保体部長がT先生を抜いてテープを切った。
保体部長が、弾丸ライナーのようにあざやかにトラックを走り抜けた。
「リレーをしましょうよ」
運動会の準備のための会議の席でも、保体部長はそう言っていた。
この発言は、運動会の当日、現実のものとなった。さすが、「リレーをしましょうよ」と言うだけのことはある。
教育長は、来賓席で「笠田の団結力はすごい」と言っていたそうだ。
これで、教育予算が増えればいいのに。と思ったのはぼくだけだろう。
「必死な顔で走っていたなあ」
嫁さんの従姉妹の旦那が笑っていた。
「おとう、背、低すぎ」
娘がひやかした。
ぼくの前の長身のサーファーがかっこよかったので、余計に差がついた。
ま、事実だから仕方がない。
午後、最後の種目は、1年生から6年生までの選抜チームによるリレーだった。男子のリレーのアンカーは、抜き返し、また抜かれ、さらにゴールで抜き返すという形になった。力の入った運動会は、さわやかな印象を残して全種目を終了した。
校長先生の閉会のあいさつが終わると、来賓席や保護者の中から拍手が起こった。
なかなか、感動的な運動会だった。
娘にとって小学校最後の運動会が終わった。
じっくり娘の姿を見られなかったので、嫁さんが撮った写真を楽しもう。
秋におこなわれてきた運動会は、校舎改築のために5月29日開催となった。運動会が終わると学校行事も山場を超えて、後半に入っていくという感じになる。まだ6月になっていないというのに気分は秋のような感じになった。
懇親会は5時30分から「えびす」でおこなわれた。
鍋とお酒とカラオケ。運動会では飛び入り競技もできたので、盛り上がらないわけにはいかなかった。
8時30分過ぎに中じめをおこなった。
女性陣が引き上げると男ばかり14人が残っていた。
ムードメーカーのM先生の姿は、女性でもないのにぼくたちの前から忽然と消えていた。
森の熊さんは、誰にも知られずに冬眠に入るらしい。
大きな声で話しすぎたので、喉がつぶれ声が出なくなった。歌を一曲歌ったが高音部が出なかった。前の打ち上げでも同じような感じになった。演説では喉はつぶれないのに、運動会の打ち上げは、非常に喉に悪いと言うことが証明された。というか、ぼくだけが大声でしゃべりすぎたということか。
五月晴れ 運動会で 喉つぶれ
俳句はおそまつくんだ。
松尾芭蕉のようにはいかない。


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Posted by 東芝 弘明