さようなら、Hさん

出来事

議会事務局長だったHさんが亡くなられた。駐車場が満車になり、セレモニーホールの中にはたくさんの人がいた。ぼくは、参列者の最後尾に近いところに立っていた。Hさんは議会事務局長をつとめていた時期はそんなに長くなかった。眼光の鋭い、頭の切れる人だった。
「渋い感じの人がいなくなった」
Hさんの話をしているとこういう話になった。高倉健、菅原文太、勝新太郎、石原裕次郎、渡哲也、矢沢永吉などかつての往年のスターの方々には、渋さがあった。男のかっこよさは、こういう渋さにあった。男が男にしびれるというのは、渋さに惹かれるというものだったのかも知れない。
しかし、最近の人を見ていると、往年のスターのような渋さを持った人はいなくなった。
「いないですよね」
役場でこういう会話を交わしたのは、亡くなったHさんには、男の渋さがあったからだった。

Hさんは、にやりと笑う感じがあった。ニヒルでもない枯れた感じの笑い。ガハガハ笑うようなことはしなかった。黒いコートが似合うような人だった。難しい言い回しをする人だったので、ぼくは話を聞いてもよく分からないところがあった。
役場の最後の仕事は、税務課長だった。
「仕事はやりやすかったですよ」
「どんな感じだったんですか」
「『自分が正しいと思ったら住民と喧嘩してもいい。俺が責任を取ってやる。そのかわり勉強してくれ。勉強せんと間違ったことを言って、仕事をするようだったら承知せん』──こう言ってました。ぼくらは安心して仕事をしていました」
Hさんの下で部下として仕事をしていた職員からこういう意見を聞いたことがある。
Hさんらしいエピソードだった。

産廃業者による土砂の埋立問題が起こったときに、ぼくは、土砂埋立のための住民側からの条件提示のための契約書の案文を作成したことがあった。条例の制定などにも明るかったHさんは、ぼくが作成した文書の全てに手を入れてくれた。こういう仕事については、心底安心できる人だった。

お酒の好きな人だった。職員時代、お酒で失敗したこともあった。底なしの飲み助だった。退職後は、区の役員にもなって秋まつりを楽しんでいた。渋さそのままでも地域に溶け込めるんだという驚きが少しあった。
「大恋愛の末に結婚したって聞きました」
役場の職員は、今日、こういう話を教えてくれた。

議員になったときに、ぼくの年上だった役場の職員の方々が次々に亡くなり始めている。ぼく自身30歳という年齢から57歳という年齢になった。毎年3月議会が終わるたびに、何人もの課長が退職していく姿を27年間見続けてきた。Hさんは、それらの人々の中でも個性の非常に強い人だった。多くの参列者がいたお通夜の席で、多くの人に慕われていたことを改めて再確認させていただいた。前の選挙の時にはまだ元気だった。
家の前で長いこと話をしていたことが思い出される。

顔のところにある柩のふたを開けると、穏やかな顔がそこにあった。眠っているように見えた。
「最後は35キロまで体重が落ちました」
奥さんはそう語った。Hさんに一番似合う衣装をということだろう。背広を着てネクタイを締めていた。
「もっともHさんらしい服装ですね」
そう奥さんに話しかけると語尾がにじんでしまった。
手を合わせて最後のお別れをさせていただいた。
もう一度、家の前で話をしたい思いがこみ上げてきた。


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出来事

Posted by 東芝 弘明