仏と阿修羅の共存、それが商品というもの

雑感,出来事

雨の音を聞きながら朝、家の用事をしていた。雨音がなんだか心地よかった。日本全国は今年も異常気象で、雨の多いところ、集中して局所的に豪雨となったところと色々違いが生じている。ぼくの住む和歌山県の紀北地方は、今年はすごく雨の少ない夏になった。

今朝は9時前に事務所に行った。車の乗り込もうとしたらかなり雨に濡れた。この夏こういう体験がものすごく少なかったので濡れながらも少しだけ新鮮だった。車を走らせて角を曲がりかけたときに妻の言葉がよみがえってきた。
「玄関の両サイドにある鉢を私の車があったところに置いてね」
雨という天然のシャワーで植木鉢に水を与えようということだった。この言葉が浮かんだので車を止め、もう一度自宅に戻ることにした。鉢を庭に置くという作業によって、もう少し雨に濡れることとなった。
紀北筋でも雨の降り方は違う。橋本市は昔から夏になると夕立のような雨が多かった。橋本駅が土砂降りの雨に見舞われていても、かつらぎ町の笠田駅には雨が全く降らないということは少なくない。かつらぎ町の西の端には高田という地域がある。この高田から少し西に行くと紀の川市との境になり、穴伏川が流れている。この川を一つの境界にして気温の差があるという話がある。冬、この川を渡るとかつらぎ町に大量に雪が降っていたことがある。なぜこういう変化が起こるのか、気象の専門家に聞けば見事な説明が返ってくるかも知れない。

雲によって蓄えられた水蒸気は、ある限界点を超えると雨になって落ちてくる。細かい雨になる現象や大粒の雨が激しく降る現象はどのような違いによってもたらされるのか、ぼくには分からない。当たり前のように見過ごしているもののなかには、その現象を説明できないことの方が多い。自分の目の前で起こっていることに対して、問いを立てて探究して行けば、その本質が見えてくる現象もあれば、どんなに探求しても、その本質にはたどり着けない現象もある。多くの天才的な人々が解明したものもたくさんあるが、まだ未解明なものもたくさんある。どちらが多いのかといえば、未解明なものの方が圧倒的に多い。

見えている現象を十分説明できないものに商品の特徴がある。
商品の生産という点で最近気になり始めていることがある。例えばAppleという会社のMacBookProという製品をぼくは愛用している。今使っているMacBookProは、使い始めてもうすぐ丸4年になる。いい製品だと思っている。4年経っても性能の劣化は感じられず、起動も速く不安定な動作は何もないに等しい。でも値段はすこぶる高い。20万円の半ばを軽く超えている。
「赤旗」にAppleの戦略の分析記事が連載されたことがある。日本で使われているMacの多くは、中国の工場で生産されている。アップルストアで購入すると、中国から製品が送られてくる様が見えたりする。「赤旗」の連載によれば、中国で生産されたMacは、全製品がタックスヘイブンと呼ばれる地域にある販売会社に販売され、この販売会社が全世界にMacを売るという仕組みになっている。製品が中国からその会社に動くわけではなく伝票処理だけが行われる。
日本のバブルの時代には、土地がA社からB社、さらにC社に移ることによって価格がものすごくつり上がっていった。Appleは、Appleの子会社を使って製品の販売がなされたかのようにして、税金対策と価格のつり上げのようなことを行っているということだろう(連載当時、「赤旗」は事実を追求してこういう記事を書いた。現在のAppleが同じ手法をとり続けているのかどうかは未確認だ)。
あれだけ製品に心血を注いでいる会社が、販売という段階になると、アメリカ本国でも批判を受けた。同じ会社の中で、どうしてこのような二律背反的な行為がなされるのか。顧客第一のように見えるような製品の作り方をしながら、一方で儲け本位の、土地転がしまがいのことが行われている。

商品生産とは何か。企業の根本的な精神はどこにあるのか。ということを考えさせられるようなことが展開されている。ぼくは、このような分裂気味のことが同一企業内で展開される問題の根本には、使用価値の生産と交換価値の生産という商品の二つの側面に起因する問題があると感じ始めている。具体的有用労働の結晶として商品の具体的な性格を表している使用価値。抽象的人間労働の結晶としての価値、その現象形態としての交換価値。商品のこの2つの側面は、1つのものの中にある相反する二つの側面という捉え方をしていた。しかし、最近は、商品を形成しているこの二つの側面には大きく深い溝があり、対立しあっているというように思いはじめている。使用価値という側面と交換価値という側面が、Appleという会社をして、よりよい製品を作ろうとする努力と販売面での卑怯なやり方になって現れている。顧客第一と儲け最優先との矛盾。Appleがもつ二つの側面。こういう2つの側面は、大企業であればあるほど、かなりクッキリ表れているのではないだろうか。

Leading Innovationという言葉は、東芝の宣伝文句だが、この会社は、原発の輸出問題でこの言葉とは裏腹な問題を引きおこした。人類の現在の到達点では処理しきれない核エネルギー問題を抱える原発を海外に売るという行為は、Leading Innovationにはほど遠い態度だろう。原発技術の根底にあるのは、湯沸かし器と水蒸気の力による発電というものすごく単純な構造だ。水がなければ原子力発電は成り立たず、空だき状態が発生するとわずか数十秒で大爆発を起こすという代物だ。しかも一旦メルトダウンが起こったら人間は原子炉の心臓部に近寄れず、放射能漏れさえふせげなくなり、収束の目処さえ立てられない事態に陥ってしまう。こういう技術的不安定さをもっている原発を安全神話という幻想にくるんで外国に販売しようとする東芝という会社は、人間の生活の役に立つ家電を多く作りながら、同時にこういうことを平気で行う会社になっている。

こういう傾向は、企業の中に数多く存在する。交換価値としての商品の生産は、生産のための生産、つまり儲けを徹底的にあげるために商品を作るという傾向をもつものであり、この側面は、使用価値という商品の具体的な姿にさえも侵食し蝕んでいく傾向さえもっている。商品には仏と阿修羅が同時に存在し、共存している。仏が勝る場合もあれば阿修羅が勝る場合もある。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明