オーケストラのように

雑感

岡山の総社市に視察に行って、移動中やホテルで浅田次郎さんの『夕映え天使』という文庫本の短編集を読んだ。この人の文章を読んでいると、自分でも文章が書きたくなってくる。
好きな作家の描写は心地いい。

移動中、窓の外を眺めることは少なかったが、窓の外に見える山の木々の葉は、ほとんど落葉しており、枝が細く伸びているのが見えた。
「この辺の山は落葉樹がほとんどなのか。秋の紅葉は美しかっただろうか」
そんな思いが湧いてきた。
電車の窓枠は狭かったので、総社市でいただいた飲みかけの水のはいった500㎜のペットボトルを置くと、そこの半分以上が窓枠からはみ出した。電車が揺れるたびにペットボトルも揺れたが、半分以上入っている水の重さだろうか、ペットボトルは座席側に倒れてこなかった。

総社市の子育て支援の取り組みは、議員による一般質問から始まったという。市長が子育て支援を積極的に受け入れて、子ども条例の制定にいたり、市長の指示と職員の施策の具体化が幾重にも積み重なって、現在の充実した体制と施策になっていた。視察の際、総社市の紹介のプレゼンを見ながら感じたのは、子育て支援だけではなく、多方面の分野の施策がかなり充実しているということだった。多方面に豊かに具体化される施策があるというのは、市長のリーダーシップということには解消できない厚みがあることを意味する。
自治体は、大統領制という仕組みなので首長の姿勢が決定的な意味をもつが、本当に住民のためにきめの細かい、かつ大胆な施策を実現するためには、職員の知恵や力がものすごく必要になる。総社市は、市長にリーダーシップがあるとともに、職員のやる気や能力、新しい施策を生み出す力などが大いに発揮されていることを強く感じた。市長という指揮者が、プロ集団によって構成されている楽団員の力を引き出し、美しく力強い曲を演奏するような感じを受けた。今の時代、自治体に求められているのは、こういう民主主義の力だろう。
こういう印象は、子育て支援の説明に立った保健師さんの情熱のこもった説明に現れていた。

人口68000人という総社市は、子ども条例を10年前に作り、子どもの意見表明権を大切にしながらこども議会を発展させ、高校生による議会を実施していた。公募による議員は、総社市内の高校生だけでなく、他の市から総社に通ってる高校生や他の市に通っている高校生でも議員になれるという形を取っていた。質問の形式は一問一答方式だという。高校生の議員が、一問一答形式で質問する姿を実際に見てみたいなと感じた。
「高校生の提案が実現して、市役所の前の歩道がフラットに改修されたんですよ」
「高校生が市長に会いに来て、施策を提案することもあります」
こんな話が出てきた。
主権者教育の具体的な姿が息づいていた。

総社市の子ども条例は、子ども一人ひとりの個人の尊厳を尊重するというところから始まり、子どもの権利を具体的に規定し、さらに子どもの権利どうしがぶつかった時には相互に尊重することを大切にし、子どもの意見表明権を重視するという規定になっている。権利を具体的規定する精神は、子どもの最善の利益を与えるという「子どもの権利条約」の精神そのものだ。この条例制定から10年経って、充実した子育て支援の施策が息づいているというのは、素晴らしいことだと感じた。

岡山から新大阪まで1時間。そこからかつらぎ町の大谷駅まで乗り継ぎの時間も含めて2時間と少し。新大阪から帰ってくる方が時間がかかる。小学校4年生のときに、各駅停車の列車で倉敷まで行ったことがある。ものすごく時間がかかり、大阪のビルの中で遅い昼食を食べたことを思い出した。あの頃のしんどさが鮮明に蘇ったのは、新幹線の便利さゆえだったのかも知れない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明