離別式と送別会

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笠田小学校の離別式が行われた。
今年は、3人の先生の退職と5人の先生の転勤があった。支援員の人も4人退職し、転勤になった。
離別式は9時から笠田ふるさと交流館で行われた。子どもたちと卒業生のほとんどが離別式に出席し、この式を見守るように保護者の出席があった。
半分近くの先生が、笠田小学校を去ることになった。
ぼくの娘は、この学校に6年前に入学しこの前卒業した。娘と一緒に入学し卒業する気持ちになったぼくは、今日のこの日に、多くの先生を見送り別れることとなった。

M校長先生とは、この3年間、ずいぶんいろいろな話をさせてもらった。ぼくが話し込んだ一番の人になった。5年間、PTAの役員をさせてもらい、その内4年間は本部役員となり、3年間PTAの会長をさせていただいた。この期間のほとんどをM先生と一緒に過ごせたことが幸せだった。
M先生は、管理的な先生ではなく、周りの先生の相談役になって学校を運営していた。子どもたちへの優しいまなざしと、子どもを信頼する目をもった人だった。
学校にとって校長先生の存在は大きい。管理的な校長先生が学校のトップに立つと教壇に立つ先生が非常に窮屈になる。

「教壇に立つ先生に自由を」
ぼくは議会でもこういう質問をしてきた。しかし、これは現実の教育の中でなかなか実現しなかったが、M先生はこのことを守ろうとしているようにぼくには見えた。
離別式では、校長先生が代表して挨拶をおこなった。
子どもたちに向けて語られた言葉は、子どもたちへの信頼だった。
「笠田小学校の子どもたちは、(1)人の話を聞く態度がいい、(2)一生懸命に掃除をする子が多い、(3)友だちとよく遊ぶ子が多い。この3つのことを誇りにしてください」
勉強の話をしないところが素敵だった。
学校は勉強をするところである。しかし、同時に学校は、子どもたちの生きる場所、生活の場所である。子どもたちが生き生きと生きることのできる場所でなければ、子どもたちの成長は保障できない。
M先生の言葉には、そういう意味が込められている。

この小学校を卒業できたわが家の娘は幸せだった。
児童を代表して男の子が挨拶した。
「笠田小学校のことを忘れないでください」
子どもの思いが伝わってくる話だった。

5時30分から送別会が行われ、PTA本部役員もこの送別会に同席させていただいた。
これは、本部役員のお願いによって実現したことだった。
離別式で退職する人と転勤する人を紹介した新しい教頭先生は、離別式の紹介にさらに自分の思いを込めた。笑いながら目頭に少したまるものがある。笑いながら胸の中に広がる感動は、山田洋次が大切にしてきた世界であり、ぼくは話を聞きながら「寅さん」のことを思い出していた。
M校長先生は、あいさつの中で、「金八先生になりたかったけれどなりきれませんでした」と語られた。
ドラマというシナリオのない、ドラマ以上に複雑なこの現実の世界の中で、金八先生になる努力は、おそらく金八先生を演じた武田鉄矢さんの努力を超える。
ドラマには、過酷な現実が描かれていても、その過酷な現実を乗り越える姿が描かれる。でも、実際の現実は、もがき苦しんで努力しても、どんなにその努力が実のらなかっても、時間が来れば子どもたちは巣立ってしまう。ときには転校という形で努力が中断されることもある。教師が悪戦苦闘しても、子どもたちが抱えている環境や現実を変えられないことも多い。
その中で金八先生を具体的なイメージにもって、それをめざしてこられた先生には頭が下がる。

ぼくは、乾杯の音頭をとらせていただいた。
「乾杯」
この言葉が明るくはじけなかった。思っていることを言葉にするとどうも声が詰まってしまう。これは直そうと思ってもなかなか直らない。瞬間湯沸かし器のように涙腺が緩むのは病気かも知れない。
5時30分から9時すぎまで、話は尽きなかった。
最後に離れていく先生方に花束が贈られた。
教頭先生になる司会のI(アイ)先生が、総勢10人にお願いをしてくれた。
「一言ずつお話ししてください。これは会長さんからのお願いです」
一人一人が、語ってくれた「お話」をここには書かない。
書きたいけれど書くのはもったいない。
胸にしまっておく。

幸せな日がある。その日には、笑いと涙がある。
春が始まりつつあって、桜の花のつぼみがほどけそうになっている。寒さの中で縮こまっていた花の蕾も暖かい光の中に心を開く。
この当たり前のことが、教育の営みと重なっていく。
「先生方、本当にありがとうございました」
「さようなら」
そして、またどこかで必ず再会しましょう。
この思いが拍手の中に入り交じっていた。
 

追記(こっちの方が楽しいかも)
そうそう、もう1人のM先生の話が書かれていない。M先生は、くりくりのかわいい目を持って橋本市のとある小学校に教頭先生になられて旅立った。飛べそうにない大柄のM先生に旅立ちという軽やかな響きは似合わない。でも、この先生がいなくなって、ユーモアを込めて記事が書けなくなることはちょっぴり寂しい。いつか、前の教育長が導入した学校の枠組みのことで取材させていただき、質問に生かしたことがある。改めてお礼をいいたい。M先生は、このBlogに写真入りで登場していただいた唯一の先生だった。

同級生のK先生もいなくなる。娘の担任だったK先生もT先生もいなくなる。
同級生のK先生は、中学校の時の弱小剣道部で一緒だったヤツだ。剣道のかけ声は極めて細かったのにものすごい時間が経つと声が太くなる。お互い51にもなるとおっさんになった。

6年の担任だったK先生は、肌の白い優しい雰囲気の先生で、優しさが専門の国語とよく合っている。優しい雰囲気の先生は、子どもたちにも優しく話す。子どもたちは、この優しい話をいつも真剣に聞いている。優しさの力がここにある。静かさの力といってもいい。娘のことを話すと驚くほど娘への見方が一致していた。よく見守ってくれたことを感謝したい。

T先生は、姿勢のいい先生で、この姿勢の良さが生き方から出ているような人だった。立ち姿が美しい人は、物事を実に見事にさばいていく。この切れの良さは間違いなしに姿勢の良さと直結している。この切れの良さは見ていると気持ちがいい。すっきり美人がいなくなることは笠田小学校の大きな損失だろう。

事務の先生だったY先生は、肌のきれいな美人タイプの人で、今日はじめてまとまった形で声を聞かせていただいた。いい声だった。こんなふうに優しそうに話をする人だったのならもう少し会話をしておけば良かった。残念。
教頭先生のY先生は、複雑な事情の中で、それをおしてがんばってくださった。知らなかったことを申し訳なく思う。退職の話を聞かせていただいたときは驚いたが、その話の中で涙があふれてきた。ご苦労さまという言葉を心から贈りたい。子どもたちのことを実によく見てくれ知っている先生は、笠田にとって大事な人だった。しばらくは羽を休めていただきたい。

養護のY先生は、娘のことを随分心配してくれたことがあった。妻と九度山で一緒だった時期があったようだ。しんどいことが重なっていたようなので、少しの間ゆっくりしていただけたらと思う。

新しく教頭になるI(アイ──イニシャルで書くとアイと読んでくれないかも。自信がないので括弧でアイ)先生は、お酒を飲んでいないのに、いつもユーモアあふれる話ができる。司会業ができそうだ。「教壇に立つ先生方に自由を」──ぼくの本心を伝えさせてもらった。笠田小学校の新しい発展の芽がI(アイ)先生に宿っている。
イニシャルで書いていると誰が誰だかたいへん分かりにくい。しかもイニシャルがだぶっている。Blogの弱点を改めて発見した。

学校は、多くの先生方のハーモニーで成り立っている。一人一人について書いていると、ぼくの中にハーモニーの大切さが浮き上がってきた。
個人の力量をばらばらにとらえ細かく評価し、給料に反映させれば、個人の力が伸びていくという新自由主義的な考え方と成果主義にもとづく人事管理は、先生方のハーモニーを否定してしまう。子どもにとって、教師には新米もベテランもない。教師としての平等性こそが、ハーモニーの源泉だろう。これを打ち壊す傾向には、立ち向かわねばならない。
最後は、お堅いことを書いた。
(おしまい)


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Posted by 東芝 弘明