佐々木憲昭さんの「財界支配の研究」は面白い

雑感,経済,政治

ぼくの中に日本経済が衰退の方向に向かっているという問題意識が強く生まれてきた。この問題意識を出発にして、『雑誌経済』を中心にして論文を読もうと思っている。
8月号と9月号に佐々木憲昭さんの「財界支配の研究」(上、下)が掲載されたので2日間で読んだ。知らない分析に富んでいたし、1960年代から2010年代までの日本の資本主義の発達と力の低下の現状を概括することができた。財界の相対的力の低下は、日米の経済関係に最大の原因があり、この力の低下を強権的な政治によって、国民のさまざまな運動を抑え込んでいこうという意向が働いているということだった。日本は、アメリカの属国になるような経済要求を徹底的に突きつけられ、構造改革を迫られた結果、199年代から2010年代を通じて国際的に地位を低下させてきた。アメリカは、経済をさらに発展させながらもその相対的地位を低下させてきたが、日本は絶対的指標において、国際的地位を縮小させてきた。
日本の国内の経済的破壊が進んでいるからこそ、財界は国民の要求を力でねじ伏せて、政治支配を強める方向に動いている。この先にファシズム的な国家がある。これは財界支配の弱さの表れでもある。

安倍政治の強権的政治は、1960年代の臨調行革の流れの中にあった。大きな変化を引きおこしたのは中曽根内閣時代の第2次臨調、1990年代の橋本龍太郎内閣による橋本6大改革、小泉改革をへて巨大な官邸主導の体制が整えられた。安倍さんが賢いのではなく、巨大化した内閣官房(2000年261人、2018年職員数1218人)の機構と内閣府本府(2336人)の機構、その中に大量に天上がっている財界の各企業に籍を置く企業職員によって、「官邸主導」が貫かれるようになった。この官邸主導の仕組みの中には、経済財政諮問会議や各種審議会によって財界の意向を徹底的に貫徹する仕組みも組み込まれている。この仕組みのもとでは、内閣総理大臣が安倍さんから石破さんに代わったとしても、色合いが変わるだけで本質は変わらないということになる。
内閣府は、総理府と経済企画庁、沖縄開発庁を統合してつくられたものであり、各省庁の上に位置する機構であることが、法律に明記されている。発足時から宮内庁、防衛庁、国家公安委員会、金融庁も傘下に置いた。内閣府庁舎は、総理大臣官邸の向かい側にあり、地上6階、地下1階のビルで内閣官房と内閣府が入っている。この巨大化させた機構が、官邸主導の物質的存在になっている。
経済財政諮問会議が「骨太の方針」を出すとそれが、次年度の予算編成方針になるようになったのは、財務省による予算編成権が「骨太の方針」へと移行した(権限移譲)ということを意味する。この経済財政諮問会議は、内閣府本府の中に置かれている。

こういう変化が、官邸主導という言葉の具体的内容として物理的に存在している。内閣総理大臣が、他の大臣との合議体として機能していた時代から、現在の内閣の姿は大きく変貌している。あたかも大統領のような権限が、内閣総理大臣に与えられ、内閣府4条の改正によって、内閣総理大臣が内閣の重要政策に関する基本方針その他の案件を発議することができるようになった。他の大臣からも相対的に独立した権限をもち、首相官邸が、内閣官房と内閣府を通じて官僚機構全体を支配する。官僚の中心的なポストの人事権を首相官邸に移すために、首相を直接補佐する内閣官房に内閣人事局を置き、官僚の昇格と降格を自由に差配できるようにしている。官僚が日本の政治を動かしていた時代から、財界の意向を直接、間接に受けている内閣総理大臣が、官僚の人事権をも掌握して、内閣官房と内閣府を通じて強権を発動できる仕組みが出来上がっている。

加計学園の事件で、愛媛県の県職員が首相官邸に呼ばれて面接させてもらったという意味は、極めて大きい。まさに強権政治を実行していうる巨大な権力にお墨付きを与えてもらって、事態の変化を引きおこすことができたということだ。

アメリカの大統領が誕生すると、政府の機構が大統領によって大幅に入れ替わる。日本はこういう形を取っていない。総理大臣が代わったとしても支配の機構である内閣官房と内閣府の機構は変わらない。財界の政治と経済に対する意向が、ストレートに働く仕組みのもとで、日本の政治が動いている。この出来上がった機構が、日本国憲法の理念とどう合わないのか、三権分立を具体的にどう侵しているのか。このことを見据えて再改革を図らないと民主的な国家体制の再構築はできないのではないだろうか。

財界は、力を低下させながらも経済的要求を貫徹するために、国家機構そのものを財界の意向に添って動かし、強権的政治を求めてきた。小選挙区制によって自民党総裁の自民党支配が強化され、党内の財政も献金も総裁の下に集中するようになっている。内閣総理大臣が、巨大な権力を党内にも国家機構にも及ぼせるようになったことが、安倍一強の内容になっている。これに対する国民のたたかいは、大きくなっている。そのなかで憲法改正が政治の焦点に浮上している。日本は、ファシズム的な強権政治にさらに突き進むのかどうか、それとも民主的国家へ転換を図れるのかどうかというせめぎ合いの中にある。


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Posted by 東芝 弘明