精魂込めて打ち込める何かを見つける

雑感

人間は何のために生まれてきたのか。このことを考える機会があった。
おそらく、人間は種の生存と維持という理由のみでこの世に生を受けていると思われる。何のために生きてきたのか。何のために生きているのかは、人間が成長し、学習する中でその意味を次第に具体化していると思われる。従って子どもの時代はかなり無自覚的に、大人になってからは、目的意識的に。
自分の人生を自分で選択して、目的意識的に生きているかどうかは、その人の体験や出会い、学習によって左右される。
どの年齢から始めるかは、人それぞれだろう。転機が30歳の人もあれば、40代、50代、60代の人もあるだろう。
せっかく得た人生、自分の歩む道は自分で切り開いて、自分の人生を謳歌できるように。それが人間の生き方として、良き生き方なのではないだろうか。
自分の人生を自分で選択する。
ここから自分の人生は再スタートし、生きる意味、生まれてきた意味ができるのではないだろうか。
もちろん、こういう風に生きない生き方もあるだろう。それでも人間としての喜びを感じている人はいるだろう。

さくらももこさんが53歳という若さで亡くなった。調べてみると漫画家の方々の人生は、普通の人々よりもかなり短い。手塚治虫60歳、石ノ森章太郎60歳、藤子・F・不二雄62歳、臼井義人51歳、和田慎二61歳、津雲むつみ65歳、ちばあきお41歳、栗本薫56歳。これらの方以外で、ぼくの知らない漫画家の中に、亡くなった方がかなりいる。20代、30代の人が多いことに驚く。連載途中で作品が絶筆となった人も多い。これらの人々は、自分の人生を自分で選択して漫画家なになった人たちだ。この職業はなんとなくなれるというものではない。漫画家になって、〆切や原稿ができないストレスにさいなまれながら、作品を生み出してきた行為は、命を削りながら自分の命を作品に込めてきた人たちだろう。自分の人生を自分で選択して生きた姿については見習いたいなと思う。

僕の場合、自分の人生をほんの少し、自分の意志を持って生き始めたのは、18歳からだったと思われる。一番大きな出発点は日本共産党に入党したことだろう。
しかし、18歳のとき、大学1年生のころは、将来どのような人生を歩むのかは全く見えていなかった。職業観というものも確立していなかった。20歳になる直前の12月、「民青同盟の専従にならないか」という働きかけの中で、専従者になることを決意したことによって、自分の人生を自分で歩み始めることとなった。

次の転機は23歳の1月から日本共産党の専従者になったことだった。さらに次の転機は30歳でかつらぎ町議会議員になったことだった。2年前の9月に党の地区委員長と議員を兼任することになったのが、次の人生の転機になるのかどうかは、まだよく分からない。
議員の仕事は、心底やりがいのある仕事だった。自分が社会に働きかけ、社会を変えていく力になる喜びは計り知れないものがあった。社会に対する視野が広がったのも、極めて大きな収穫だった。そうやって走り続けて58歳になった。
ぼくの人生は、まわりの人々のために働いて、自分の認識や力を発展させるところにあった。「まわりの人のために立ち働くことによって自らを高める」という意味のことを書いたのは18歳のマルクスだった。この言葉が人生を支える言葉になった。議員の仕事は、この言葉を繰り返し実感できるものだった。

自分の人生を自分で選択できる。それは何歳からでも始められる。そのスタートは何か。自分が精魂込めて打ち込める何かを見つけること。これが自分の人生を自分で生きる一つの道ではないか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明