相手の人格を攻撃してはならない

雑感

「あなたをそんな子に育てた覚えはない」
「生まなければよかった」
「生みたくなかった」
「育て方を間違った」
という言葉をいったことがないだろうか。
この言葉には、子どもの人格を全面的に否定するものだ。全人格否定。日本の子育ての中には、こういう傾向が含まれている。
正すべきは行為であって、人ではない。人格=人を否定してはならないということだ。
しかし、実際の問題として、人格を否定しない叱り方、育て方、相手に対する言動というのは難しい。

人格を否定しないためには、訓練が必要だと思う。訓練を通じて人格を守る、子どもを尊重するという感覚が身につくのではないだろうか。
平気で子どもの人格を否定している親がいる場合、その考え方を改めるためには、どういう言動が人格を否定しているのかを自覚した上で、鍛錬する必要がある。

では、対等平等であるはずの大人と大人の議論の仕方で、人格を否定しない議論の仕方とは、どういうものか。
こちらもよく考える必要がある。
「人を批判するな、意見を批判せよ」
と言うことだが、さらに意見に対する批判の仕方が問題になる。

日本人は、意見を否定されたら人格も否定されたように感じる場合がある。だから相手の意見を否定しないようなもののいい方になったりする。日本では、人格を否定するような意見の仕方をする人が多いので、議論が歪んでしまう。最悪なのは、人格攻撃に対して人格攻撃で反撃するときだ。こんなことをしたら互いに感情的になって罵り合いのような状態になる。それはもう議論ではなく喧嘩になってしまう。

相手の人格を否定しない。自分の人格が否定されても、決して相手の人格を否定せず対話をおこなう。そのために必要なのは、相手の意見を受けとめて考えるということかも知れない。相手が何をいおうとしているのかを理解して、議論を深めていくということだ。議論が対立していない場合、会話が深まっていっていい話し合いになることが多い。しかし、意見が真っ向から対立している場合には、どうしても感情的になる場合がある。
相手の意見を受けとめることができるかどうか。議論の場では、ワンクッションおいて考えるのが大事なのかも知れない。反射神経的に反応してしまう場合、感情的に反発して語ることが多いのではないだろうか。
そう、朝まで生テレビに出ていた頃の舛○さんのように。

反射神経的に反論してはいけない。というのは大事なのかも知れない。会議の主催者である場合、人格攻撃的な意見については、見逃すべきではないとも思う。
人格攻撃をしない議論の仕方については、その道の本を読んでみたくなった。

雑感

Posted by 東芝 弘明