異端者への迫害と身内への甘さの共存

雑感

日本には、相手の人格を攻撃するような傾向があると同時に、個人の責任を徹底的には追及しない傾向もある。この相反するような傾向の根っこは同じではないだろうか。ネット右翼の人々の批判の仕方は、体制に庇護されながら異端を攻撃するというものだろう。極端な排外主義は、権力の庇護の下で成立している。
村社会の住人は、同じ村社会の中にいる人々に対しては仲間意識があり、利害を共有している人々の間では責任の追及をあいまいにする。誰が責任を負っているのかさえあいまいになる。その一方、異端者に対しては、徹底的に排除しようとする。これが人格攻撃と護送船団のような馴れ合いが同時に共存する仕組みではないだろうか。

戦前の日本の社会体制は、まさにこういうものだった。国民主権と侵略戦争反対を唱えた日本共産党は、絶対主義的天皇制の社会にあっては、極端な異端者だった。この異端に対して、明治の天皇制は、徹底した排撃と弾圧を行った。その一方で誰が第2次世界大戦の指揮を執っていたのかは、極めてあいまいにされた。
軍部の上層部が、敗戦の情報をいち早く把握して、戦地や朝鮮などから逃げ出して、部下や日本人を見捨てた背景にも、このような図式が横たわっている。このような傾向は、非民主的な組織形態とも不可分一体だった。日本の軍の作戦は、人海戦術のように人間の命をいとも簡単に消耗させて平気だった。
日本軍の作戦の基本は、物資の現地調達主義だった。これ自体、兵隊の命を虫けらのように扱うものだったし、現地住民からすれば日本人は、強奪魔だった。非戦闘員を戦争に巻き込む仕組みが、物資の現地調達主義だった。この基本的な作戦によって、日本兵の多数は餓死せざるをえなかった。
第2次世界大戦の日本軍の作戦を調べると、人の命を平気で失ってもかまわないという作戦が多かったことが見えてくる。基本的人権が確立していない国で、国民主権のない軍隊が村社会のルールのままで戦争を遂行したら、曖昧な責任と幹部の保身、部下に対する冷淡な扱いというものがセットで浮かび上がってくる。

アメリカの第2次世界大戦の作戦の中には、孤立した部隊の救出作戦があった。戦後の極東国際軍事裁判で連合国側が、捕虜の具体的な使いに対し個人責任を追及して戦犯を確定したのは、個人の尊厳を守ることに貫かれたものでもあった。日本軍が上官の命令には絶対服従ということを当然のこととしていた時代に、連合国は国際法に照らして、命令を実行した個人を裁いた。これは、個人の尊厳が確立していた諸外国と個人の権利が確立していなかった日本の差でもあった。

自己責任論が口やかましく叫ばれるが、それは政府に対して批判的な者に向けられた攻撃に過ぎない。本当の自己責任論は、個人の尊厳を認めた上で成り立つもの。人格攻撃を基本とするような自己責任論はニセモノだ。本当に自己責任を追及する人は、人格の否定を行わない。
最近、マイケル・ムーアの『世界侵略のススメ』という映画を見た。ノルウェーは、死刑を廃止している国だった。考え方の根底には、個人の尊厳を守るという意識がある。罪を犯した人の人権を守るので刑務所の存在の仕方が全く違っていた。囚人には家が与えられ、囚人だけがもつカギが与えられて快適な生活を送っていた。囚人なのに広いエリアの中で自由に生活することが許されていて、社会復帰するためのサポートが行われていた。罪を犯した人の夢の一つが政治家になるということだった。
自己責任とは何なんかということを考えさせられる映画だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明