梅雨と梅雨前線

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日曜版の配達が一気に増えたので、今日は91部を配達した。2時間ほどかかった。途中雨が降ったので中断して、役場の日曜版を配りに行った。

梅雨。この梅雨というのは、漢字に大和言葉を当てたもの。どうひっくり返しても梅雨をつゆとは読めない。梅雨は、梅の実がなる季節に雨期がやってくるので梅雨となった。梅雨前線のばあいつゆをばいうと読む。梅雨が言葉としては先にできて、というか、天気予報が出来たときに梅雨と前線がくっついて音読みになったということだろう。
日本語は、こんな風にして、漢字をくっつけることによって、どんどん新しい言葉が生まれる。
篠山紀信さんが、カメラで撮る写真のことを激写と表現した。1975年のGOROという雑誌の連載だった。それまで激写という言葉はなかった。
激白という言葉もある。激辛なんて使い方もされている。言葉は時代の動きの中で大量に生み出され、使い捨てられ、時には残っていく。日本語は、ものすごく動いている。
国語辞典にすべての言葉が載っている訳ではない。
自治体が、盛んにおこなっている嘱託職員という言葉は、辞書には載っていない。法律に定めのない職員のことなので、辞書には載っていない──そう理解している。
日本語は、数字を非常に理路整然と数える。非常に分かりやすい。九九という方法をあみだし、どんなに大きな数字になっても、4桁単位の数え方さえ知っていれば、誰でも数字が読める。外国はそうはいかない。インドなどは、100まで数えるのに100言葉を覚える必要がある。九九のない国もあり、かけ算が簡単にできない国がある。
九九の源流は、平安時代にまで遡るらしい。すごいと思う。
なのに、日本の社会の中で数学はそんなに発展しなかった。科学も。ヨーロッパの方がはるかに早く数学、科学を発展させた。日本は、器用貧乏だったのかも知れない。
少しネットで検索してみると鎖国の時代にあっても、外国から洋算が入ってきたことが分かる。明治になって和算がすたれ洋算が数学の主流になった。
ここら辺の事情について、解明した本を読んだことがない。ぜひ、読んでみたいものだ。
物事には、すべて事の起こりがある。発展のプロセスを見つめていくと、その物事がどう変化してきたのかがよく分かる。歴史は、単に歴史上の人物がどう動いたのかということだけではない。暗記することが歴史を学ぶということではない。すべての物事には歴史がある。物事の起こり、発展の経過、衰退の経過などを知ることによって、物事を運動の中で考えること、物事の本質に迫ろうとすること、現代を読み取ろうとすること、そして未来を予見すること──ここに歴史を学ぶ意味がある。
赤旗の配達の話から梅雨のことを書き、最後は歴史の話になった。連想が連想を生んでいく。

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Posted by 東芝 弘明