議会改革の必要性

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第53回自治体学校In奈良の2日目の分科会に参加した。
参加会場は、奈良県立大学の一番奥まったところにある1階の教室だった。分科会のテーマは、「何のため、誰のための地方議会」となっており、議会改革がテーマだった。
議員定数の削減を求める要求は非常に強く、最近の論調は議会不要論まで出ている。
都道府県知事と市町村長は、住民による直接選挙によって選ばれる。一方、自治体の長を頂点としたピラミッド形の行政をチェックする機関として、議会も住民の直接選挙によって選ばれる。首長と議会は対等平等の関係にあり、チェック&バランスを保つ中で地方自治体は運営される。この仕組みを2元代表制という。
この制度は、地方自治体の民主的な運営を保障するもので戦後、日本国憲法の成立によって確立したものだった。
自治体の長は、住民の代表であり、住民から信託を受けた行政の最高責任者として、行政を運営する。もちろん、自治体の長は、封建時代の封建領主ではないから、国民から全権を委任された存在ではない。当然のこととして、国民主権の原則と地方自治体の本旨にもとづいて自治体を運営することになる。独裁であることは許されない。
“選挙で掲げた公約を実行することが私の仕事であって、知事は独裁的に仕事を進めるものだ”
“自分が選挙に勝ったから、公約は民意だ”
大阪の橋下知事は、こう言っているようだ。しかし、これは、おごり高ぶったものであり、結局は憲法と地方自治、国民主権を軽視するものにならざるをえない。
住民は、住民の代表としての首長を選挙で選びながら、同時に議会議員を選ぶ。首長は、1人を選ぶ制度なので、どうしても相対的な多数の意見を代表したものにならざるを得ない。例えば、一騎打ちの選挙になった場合、論理的には、ほぼ半数の民意が切り捨てられるケースが生まれてしまう。
議会には、一定の定数を持つことによって、必然的に自治体の長以上に多様な民意が反映してくる。住民がどんどん定数削減を求めると、住民の民意を切り捨てることにならざるを得ない。徹底的な定数削減は、民主主義的な仕組みの破壊と結びついてしまう。
首長と議会は、住民の代表として、お互いを牽制し合って、議論を交わし多面的な議論を通じ、自治体を運営することになる。この仕組みは、民主主義を保障する重要な仕組みとして導入された。
国民主権と地方自治の仕組みの確立によって、戦後国民は、日本歴史の中ではじめて政治的な自由を手に入れたといっていいだろう。戦前は、男子の普通選挙が実現したが、女性には参政権が与えられなかった。戦後における地方自治の確立は、国民主権と女性の参政権の確立などとあわせ、重要な民主主義のシステムとして、再確認すべきものではないだろうか。
この民主主義のシステムと、実際の政治によって実現した内容には大きな乖離がある。住民の代表として選ばれた議員は、2元代表制である首長と議会の関係を深く理解して、民主的に運営されてきたとは言い難い側面をももってきた。
チェック&バランスという面でも、多くの不十分さを持っている。それは、徹底的な議案の審議でさえ十分実現していないところに端的に表れている。条例案や予算案が十分な時間を持って審議されてきたならば、議案や予算案の修正が盛んにおこなわれたり、議員による条例案の提出が行われるべきだが、日本全国の地方議会では、議員提案による条例の制定などは、まだまだ少ない。
かつらぎ町では、ほとんどの議案が無修正で可決されてきた。議案の修正や予算案の修正は滅多に行われなかった。ぼくが議員になってからの21年間で、予算を修正したのは昨年の当初予算だけだった。このような状況で果たして、議会によるチェック&バランスが実現してきたといえるだろうか。
一方、自治体の首長も国民主権と地方自治を深く理解し、自主的に自治を治めることや国民主権を原則にして、運営するという自覚に欠けるような状況も横行した。
首長になると独裁的な運営に終始し、住民の民意を顧みないというケースは、今日もなおかなり多い。
住民による議会批判の中には、「議会は住民の役に立っていない」、「何をやっているのか分からない」、「議員の報酬は高すぎる」、「議会はいらない」など多様な意見がある。このような意見は、議会自身が深く反省しなければならない議会の状況を反映している。もちろん、このような意見には、議会の役割を理解しないで不要論を聲高に唱える昨今の傾向の反映もある。
大阪の橋下知事や名古屋の河村市長は、選挙で選ばれた知事や市長こそが民意だといい、議会はこの民意をはばむ抵抗勢力であるかのように描いてきた。さらに、知事や市長が自分の思い通り行政を運営するために、議委員の中から副知事や副市長を選出するという議院内閣制につながる提案まで行っている。これは、2元代表制を独裁的な手法で破壊する意図をもったものである。
こういうことが実現すると、議会のチェック&バランスは、ますます働かなくなり、議会の役割は死滅する可能性さえ強まる。
橋下知事も河村市長も、本質は、大阪府下や名古屋市で新自由主義的な改革を進め、福祉や教育を切り捨てつつ、独占企業体の利益に奉仕する地域づくり、再編成を行おうとしているところに、その本質がある。2人の都構想も知事や市長の権限を強めることを通じて、独裁的な運営を保障しようとするものに他ならない。
議会は、戦後確立した2元代表制の意味を深くとらえ直し、住民に開かれた議会を積極的に実現して、民主主義的なシステムを発展させる必要性に迫られている。議会は、議会不要論と対峙して、独裁的な行政運営を許し暴走することを認めてしまうのか、それとも、住民に開かれた真の意味での議会改革を実現して、住民自治と団体自治のさらなる発展を実現し、民主主義的な地方制度を発展できるかどうかが問われている。
地方自治体の本旨は、団体自治と住民自治の結合にある。住民自治の発展が民主主義の発展のカギを握っている。住民に開かれた議会を実現し、議会が果たすべき役割をより積極的な方向で充実させることは、住民自治の発展の重要な側面を担うものだろう。住民の夜行政への参加と住民による政治への参加を考えるとき、議会改革は、重要な分野として位置づけられる必要がある。
地方自治体における議会が、大きく変わるためには、討議の保障が全ての鍵を握ると思われる。国と違って、地方自治体の議会は、行政機関と立法機関が分離していない。議会の日程は、忙しい行政運営の中で、どうしてもがんじがらめである日程にしばられている。議案審議の時間の保障や政策立案能力を高めるためには、審議や討議の時間が保障されなければならない。この保障なしに議会の質は変わらない。
住民に議事を公開しながら、議会自身が徹底的な討議を保障することによって、役割を高めていくことが問われている。
かつらぎ町でも、通年議会と議会基本条例について、検討を始めるべきだと考えている。徹底した討議の保障によって、よりよい条例や予算、制度をつくる──そういう議会になるように努力したい。


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Posted by 東芝 弘明