追悼、スティーブ・ジョブズ

Mac

スティーブ・ジョブズが亡くなった。56歳だった。ぼくよりも5歳年上だったので、同年代の人だったといっていい。
今日の朝、MacFan11月号の「ありがとう、スティーブ」という特集記事を読んでいた。この人は、間違いなしに、Macを軸にして革新的な事業を展開した中心にいた人物だったと思う。
エンド・ユーザーに過ぎないぼくは、39歳頃からMacを使ってきただけだ。しかし、MacFanなどの雑誌を通じて、リアルタイムでデジタル・ハブ構想を知り、記事を読んでAppleの発展とつき合ってきたといっていい。パーソナルコンピューターの未来の半歩前をスティーブ・ジョブズは歩いて、人々に未来を感じさせ、そして具体化してきた。
Macは、スティーブが打ちだしたように、まさにデジタル・ハブの役割を果たしてきた。わが家では、MacBookProが軸になって、iPodとAppleTV、iPadがつながってデータを供給している。
AppleTVは、MacBookとiPadをテレビに繋ぐ役割を果たしている。
もちろん、このデジタル・ハブの中心にiは、Tunes Storeがある。CDで販売されていた楽曲を一曲ずつ音楽配信という形で販売し、いつでも自宅にいながら好きな音楽を購入できるようにしたのは、まさに革命的だった。デジタル・ハブは、このiTunesを軸にしたからこそ、今のように発展したといっていいだろう。
Appleは、ハードとソフトの両方を大事にしてきた会社だ。徹底的にハードにこだわり、徹底的にソフトにこだわって製品を世に送り出してきた。最良のハードに洗練されたOSとソフトを乗せて提供する。そこには、一貫性が生み出す美があった。しかもAppleはこの「美」に徹底的にこだわってきた。
Macを使っている人は、この統一された美しさに魅了されてきた。
もうすぐiOS5のアップデートとiCloudのサービスが始まる。この2つのサービスは、デジタル・ハブ構想をまさに止揚(否定しつつ、発展し、発展したものの中に否定したものが保存されている状態)して次の段階に移るものだ。iCloudがこの段階ではデジタル・ハブの役割を果たす。Appleの巨大なデータセンターにデータが管理されることによって、エンド・ユーザーは、自分のデータを世界で共有し、Mac、iPod、iPad、さらにPCなど、どのデバイスでもデータを引き出すことができるようになる。
iPadは、AppleTVを通じて全ての画面をTVに映し出せるようになる。
自分の家でかんたんにプレゼンがいつでもできるようになる。プロジェクターはなくてもいい。
携帯電話は、数年前、DoCoMoからauに切り替えた。KDDIは、粋なことにiPhoneを発売するようになった。近い将来、スマートフォンの市場の価格破壊がおこれば、ぼくの手元にはiPhoneが備わることになるだろう。Macが管理する情報が、全てのアップル製品で共有でき、随時更新できる便利さはもう未来ではなく数日後に実現する。
このような変化を確実に成し遂げながらアップルを成長させたスティーブ・ジョブズの役割は、限りなく大きかった。39歳から12年間、Macを使い続けてきた。27歳の時にNECの88を手にして以来、パソコンで新聞編集がしたいという1点でたどり着いたのがMacだった。
Macに憧れながら移行できなかった期間は、2年間もあった。資金的にもMacへの移行のハードルは高かった。新聞編集のためには、モリサワフォントなどを購入する必要やPostscriptのプリンターも必要だった。
最高峰のMacBookProが21万4800円、MacBookProは15万8000円から存在する。ぼくが最初に購入したMacはデスクトップ型だった。その後PowerBookに移行したが、その時のPowerBookは30万円を少し切るというものだった。
この時から考えるとMacは安くなった。15万8000円でMacBookProが手に入る時代に生きていることは楽しいといえる。ノートパソコンが6万円程度で買える時代になったので、Mac購入に必要なお金は割高なのかも知れない。しかし、15万8000円でアルミの板をくり抜いたSimple is bestの美しいMacを手に入れられるのだから最高にいいのではないだろうか。
美しいデザインと洗練されたOSは、Macを使っている人を魅了して止まない。ほぼ毎日12年間、Macを使ってきたが、この12年間のMacとの付き合いは「幸せ」だった。Windowsのパソコンは道具にしか過ぎない。しかもこの道具は使い手に愛着を呼び起こさない。もちろん、システムにまつわる技術的なことへの興味は、Windowsにもある。
Macにはこれとは違った思いが生まれてくる。使っていることが喜びを伴う。道具であるのに愛着がある。職人が包丁を大事にするように、大工がノミやカンナを大事にするように使い手の愛着が道具に乗り移っていくような感覚がある。
「このパソコンの画面、きれいやなあ」
のぞき込んだ人が、こんな言葉を発すると楽しくなる。そうでしょう、なんてったってMacですから、そういいたくなる。
スティーブ・ジョブズという一人の人間の、こだわり続けてきた戦略が、Macの文化の核になってきた。全体の統一と細部へのこだわり。これがAppleの精神と哲学になってきた。
「神々は細部に宿る」
Macを使っている人間は、この際部に宿った女神に心を奪われてきたのかも知れない。
スティーブ・ジョブズへの追悼と感謝は、細部に宿った女神へのお礼のような気がする。
銀座のアップルストアには、花束がたくさん献花されていた。
「Macを私の手元に届けてくれてありがとう」「夢と未来を見させてくれてありがとう」
手向けられた花束には、色々な思いが込められている。
心から、ご冥福をお祈りいたします。この文章をMacBook Proで書けることを嬉しく思います。


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Posted by 東芝 弘明