「公益」と「公共の福祉」とは違う

雑感,出来事,かつらぎ

町長からの要請もあって、職員研修に議員も参加した。2時間超の研修だった。「一般社団法人構想日本」( 加藤 秀樹代表)の伊藤伸氏(構想日本総括ディレクター)が講師を務めた。今回の講演は、「構想日本」が打ち出している事業仕分けについての話であり、かつらぎ町は令和2年度から事業仕分けを行うということになっている。議員にも職員にも研修を受けてほしいというのは、事業仕分けの考え方を理解していただきたいということだった。研修の目的はここにあった。

最初、伊藤伸氏は、日本の官僚は優秀だと言いつつ、白を黒だという論理が(政府から)出されたら白を黒だとする論拠を打ち出してくるという話をされた。この話は、日本の官僚機構が法哲学を持っていないと思わせるような発言だった。

現在の官僚機構が、政治が白だと言ったら白、黒だと言ったら黒だという論理を構築する「非常に頭のいい」人たちによって構成されているという話は、安倍内閣による忖度政治とは何かを雄弁に語るものだろう。あくまでもこの話は、講師の主観に基づく印象だったが、地方自治体も似たり寄ったりの状況になっているのではないかという感想をもった。

肝心な思想のない話。しかし、これは講師の話にも言えているのではないかと思った。
話は、「公益」というところから始まった。「公益」について、ウキペディアは「公益は、社会全般の利益、更にはそういう形態の利益が出る性質の事柄を指す。こういう形態の利益には、その社会に属する各々(個人=大衆)が益するものもあれば、社会全体の機能向上に繋がるもの、あるいは社会の規模拡大に寄与するものが挙げられる」と書いている。しかし、この話から入る前に「公共の福祉」という憲法の規定と「公益」との関連性を明らかにすべきだと思った。講師の話は、
「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」
という地方自治法の「住民の福祉の増進を図る」という根本的な規定と「公益」との関係を明らかにするものでもなかった。

地方自治体は、「公益」を基本にして仕事を行っているのではなく、「住民の福祉の増進」のために仕事を行っている機関だ。この違いはかなり大きい。ことは地方自治体の根本的な立脚点に関わってくる。
そもそも地方自治体は、国民主権を大原則とする住民の権利を守るために成り立っている機関であり、民間の事業体や個人が行わない事務を中心に仕事をしている。ビジネスになりえない住民のための共通の仕事を地方自治体が担うことによって、福祉の増進を図るのが地方自治体であり、基本を「公益」には置いていない。地方自治体は、公益法人ではない。地方公共団体という法人である。公共団体と公益団体とは違う。この違いを全く論じないで、「公益」から話を始めるのは、まさに頭のない胴体だけの話、法哲学のない話になってしまう。官僚が法哲学のない頭の良さで成り立っていると言いつつ、講師本人も根本的な理念から問題を展開しなかったのは、かなり意図的だったのではないだろうか。

憲法と地方自治法との関係で公共の福祉の意味を捉えた上で「公益」について論じないと論点がずれてくる。事業仕分けの基本を「公益」において行うのは、問題だろう。公共の福祉として進められている事業が、「公益」という観点で再評価されていったら、その未来に何が起こるのか。
もちろん地方自治体は、限られた財源の中で運営されている。しかし、根本的な理念が公共の福祉にあるのだから、財源を理由にして公共の福祉を削ることに対して、「公益」の観点から仕分けされていくと公共の福祉が切り捨てられる可能性がある。国に対して公共の福祉の増進を求めないで「公益」という狭い概念に自治体を押し込んでいくのは、結局は新自由主義的な経済活動に地方自治体を合わすことにしかならない。

「公益」と「公共の福祉」とは違う。この頭のない胴体だけの話には注意が必要だろう。


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Posted by 東芝 弘明