人命優先の政治に転換してほしい

雑感

政府は、緊急事態宣言を出して、自粛を要請している。さらに首相は、新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で、4月11日、繁華街の接客を伴う飲食店の利用自粛要請については、全国に広げると表明した。
人の行動を8割減らせば感染を乗りこえることができると政府は言っている。自粛を要請しているのに、自粛しない人がおかしいというのだが、ベクトルが全く間違っている。「会社を休んで下さい、お店を休業して下さい。損失は補填します」ということを諸外国が実施しているなか、日本は、とっている基本的政策が違っている。

人間の経済活動と感染対策は、明らかに二律背反的だ。ここには両立しがたい矛盾がある。経済活動は、人と人との人間関係で成り立つので、活発な経済活動は、人と人との交流を活発にする。これを最小限に抑制しないと感染が広がる。究極の対立は、経済活動を中止したら人間は生きていけなくなるが、経済活動を促進したら感染が広がるところにある。

こういう状況の下で判断すべきなのは、経済優先でなくて命を守ることを優先しようということだ。
「必要な外出以外はしないで下さい。そのために政府は、営業補償、生活保障を行います。みなさん、安心して外出禁止を守って下さい」「経済活動を停止させますが、生活は保障します。それが最大の感染予防対策です」
人命優先の立場に立てば、こういう判断が成り立ってくる。

政府は現時点でどう考えているのだろう。
東京都が休業要請に従った事業者に協力金を支給する制度に対して、政府も同様の対応をするのか問われて、菅官房長官は4月10日の記者会見で「それはありません」と言下に否定した。
補償はしないという考え方は明白だ。理美容をどうするのかという議論があったが、「お客さんと従業員に双方に感染のリスクがあるので仕事を休んで下さい。休んだ分は全額補償します」というのが本当の答えだったと思う。国と都によるすったもんだの議論の末に、理美容は休業要請の対象から外された。補償はしないという経済優先の観点が貫徹していると言わざるを得ない。
命を最優先にして、人間の行動をとめる。そのために補償を行う。この考え方が貫けないのでは、感染は拡大してしまう。自粛ではなくて、「休業要請と補償」こそが感染予防の最良の対策ではないだろうか。

日本共産党は、医療機関におけるコロナ対策の体制構築のために、防護服やマスク、人工呼吸器とともに、ベッドを確保するための財政支援を訴えている。1つのベッドを開けるためには月3万円の経費がかかる。社会保障改革の中で、政府が最も力を入れてきたのは、先行させた医師の抑制、医療費の抑制とベッド数の削減だった。病院の経営はギリギリの状態になり、医師不足が起こり、日常的には過重労働が蔓延し、看護師が病院勤務から離れる事態が全国で起こってた。こういう状況下でコロナ感染が起こっている。
「ゾーンを分けて感染患者を受け入れるよう病院に要請」しているが、お金は出さない。出すのは要請のみという形になっている。これでは医療の体制は整わない。
医療の最前線には、かかりつけの医院がある。ここにも飛沫感染と接触感染のリスクがある。しかし、防護服やシールドは配られていない。お金を出さない対策は、医療の最前線にも貫かれている。

都市部の感染の広がりの最大の原因の一つは、満員電車だろう。東京の通勤は、ある程度減っているようだが、3密を避けるところまでは進んでいない。働かないと生きていけない労働者がいる。解雇が一番恐い。日本は労働組合の組織率が低いので、働く者の願いや要求が会社に届かないことが多い。会社が勤務時間の変更や働き方を変えないと、変化が起こらない企業が多い。

電車通勤で換気と2メートルの間隔を保てなかったらどうしても3密状態になる。公共交通機関における接触感染もなくならない。個人的にはマスク不足の中で薄い使い捨てのゴム手袋をするのが効果的だと思われる。接触感染は、手すり、つり革、ドアノブ等々によって発生する。ゴム手袋をして、使用後はそれをゴミ箱に捨てて、その後手を洗えばかなり防げる。ゴム手袋をするだけで、顔や口に手を持っていかなくなる。マスクとゴム手袋でかなりの予防になるのではないだるか。

日本社会のいびつな構造、ルールなき資本主義だと指摘されてきた構造的な問題が、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、生活困難をさらに拡大している。派遣切り、解雇が広がりつつある。日本社会のあり方が問われている。新型コロナ対策を通じて、人命優先の政治や社会への転換が問われている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明