人間と人間の深い関係

雑感

松嶋菜々子さんをナビゲーターにして番組が進められる『アナザーストーリーズ、運命の分岐点』、「突然あらわれ突然去った人〜向田邦子の真実〜」を見た。面白かった。1981年8月、航空機の事故で51歳で突然亡くなってしまった向田邦子さんの生き様を、関わった人の証言で明らかにする番組だった。向田邦子さんは、目に見えるような文章を書く人だった。国民の生活感を正面から描いていたので、当時の昭和の空気が作品の中に見事に描かれている。

物語が自分の中で語りはじめ、登場人物が自由にセリフを語り行動を起こすので、向田さんの書かれる文字は次第に象形文字のようになって読むのが困難だったという。書かれる文章は、頭の中で展開される物語を追いかけて書いていたので、物語のスピードに筆が追いつかない。登場人物が一人歩きして文章が書かれていくということは、作家にはよくある現象だ。一体誰によって作品が生み出されてくるのか、不思議な話だが、そういうようになってはじめて作品に勢いが出てくるのかも知れない。

向田邦子さんの作品に深く関わってきた人々の証言は面白かった。感じたのは、人間と人間の深い交流だ。自分の精神世界をこの世の中に紡ぎ出してきた作家と編集者や映像作家と女優の関係は深い。見ながら、おそらくこのような人間関係は希有なもので、一般的な世間にある人間と人間の関係よりもはるかに深さのある付き合い方だろうという思いをもった。
番組を見ていて、人間と人間の関係の深さへの憧れが湧いてきた。ぼくたちは、向田邦子さんと編集者や女優のように、深いところで人間と人間の関係を結んでいるだろうか。

向田邦子さんは、シナリオや小説という作品を通じて、自分の父への思いや自分の心情を投影してきた。おそらくは、ほとんどの作家は作品の中に自分がさまざまな形で露出していくものだろう。それをどう感じ取るのかは、読み手の人の自由だが、作品に込められた作家の生き様を読み解いていくという読み方は、作品の一つの読み方として、今までも、これからも続いていくだろう。そういう読み方は、作家への理解と不可分につながっている。

ぼくは、そういう作品の読み方が好きだ。この読み方を通じて作家の生きた姿を感じ取りたいとも思っている。読んで気に入った作品に出会うと、書いた本人に興味が湧いてくる。作品に触れながら作家と向き合っていくという読み方をしている人は多いだろう。ぼくの場合は、作品への関心が前に向かって伸びるに従って、作品と背中合わせのように作家への関心が伸びていく。ベクトルは背中合わせで反対方向に向かうのに、関心が高まるほどに伸びる矢印は、どこかで円を描いて結びつく。

午後、向田邦子の『思い出トランプ』をAmazonで注文した。1981年に亡くなった方なのに、40年経ってもこの本は、真新しい文庫本として販売されていた。向田邦子さんに会いたければ、作品を通じていつでも会うことができる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明