半日、ゆっくりしました 2005年6月19日(日)

出来事

半日、自宅でゆっくりした。朝、娘といっしょに「ミスターインクレディブル」をDVDで観て、親子3人で遅い朝食をとった。
その後、横になっているとうたた寝をしてしまった。
どうも疲れているらしい。
うとうとしていると、ピアノの音が聞こえてきた。
娘は、母親に付き添われてピアノの練習をしていた。贅沢なことにわが家にはピアノがある。妻の知人の従兄弟の方が、「ピアノいりませんか」という話をもってきてくれて、わが家に届いたのがこのピアノだ。妻の知人の従兄弟は、妻の知人からピアノを譲り受けていたので、このピアノは、わが家にきたことによって、3回持ち主を替わったことになる。
妻は、知人に商品券でお礼をした。5000円のお礼をしたつもりが、うっかりして2500円だったらしい。このピアノは2500円のピアノということになる。
水道の企業会計を深く理解したいので、「世界一やさしい会計の本です」(山田真哉著)を買って読み始めた。この本は入門書の入門書のような本で分かりやすいという評判の本である。
午後、事務所に行ってこの本を読みながら準備をした。
夕方はお好み焼き。豚キムチ。食べ過ぎて少し胸焼け状態になった。
最近、議会の合間に鈴木敏夫さんの「映画道楽」を読んだ。
鈴木さんは、高畑勲さんと宮崎駿さんのもとでプロデューサーを務めている方だ。スタジオジブリの中でこの人の存在は大きい。鈴木さんは、子どもの時代からものすごい量の映画を観てきた方で、本の最初に映画談義を書いているが、なかなか奥が深くておもしろい。
しかし、最も興味深かったのは、日本のアニメーションと海外のアニメーションの違いについて書いてあるところだった。
紹介したら、読んでいない人にしかられそうだ。
さわりだけ紹介すると、宮崎駿監督の映像は、真ん中が標準レンズで、周辺が広角レンズだそうだ。時間と空間が歪んで描かれるのは、日本のアニメーションの特徴だという。宮崎さんもこの日本の伝統を受け継いでいる作家らしい。
「巨人の星」の例がおもしろかった。星飛雄馬は、30分かけてたった1球、ボールを投げたことがある。つまり5秒間ぐらいの現実を30分に引き延ばして描いたのだ。鈴木さんは、ここに日本アニメの特徴があるという。今日夜7時から放映された「ワンピース」も2人の決闘シーンを30分かけて描いていた。
星一徹親子がご飯を食べている居間は4畳半なのに、星一徹がちゃぶ台をひっくり返して、飛雄馬を殴りつけるときには、部屋が50畳ぐらいになっていると鈴木さんは書く。しかし、こういう時間と空間のデフォルメがアニメーションをおもしろくしているようだ。
日本の文化には、なぜこのような時間と空間のデフォルメがあるのだろう。
鈴木さんは、部分から全体へという思考がこう言う傾向を生み出すのだと喝破している。
外国のアニメーションは、全体から部分へという描き方が多いという。
おもしろいのは建築における違いだ。
江戸時代の武家屋敷は、入り組んでいて上から見てもどんな作りになっているのか分かりにくいという。日本建築は、部屋から作り始めて、となりの部屋を作るというかたちでどんどんつなげていって建てていくという手法を取っていたそうだ。尺、間という建築の単位は、部分から全体へという考え方を表しているのだ。
ヨーロッパなどの建築の多くは、左右対称で、綺麗に整えられているらしい。教会などは十字架を美しく見せるために、まず空から見た構図を考えるという。これらの建造物は、全体から部分へという考え方で造られている。
この話は、加藤周一さんの「日本文学史序説」によって指摘されていることで、鈴木さんは、目から鱗が落ちたと書いている。
あとは読んでのお楽しみ。
私たちが何となく見ている現実には、実に豊かな内容が潜んでいる。多くの場合、そういうことを知らないで見過ごしていることが多い。
プロは、一目見て深い内容をつかむ。それはどんな分野にでも言える。
将棋の達人は、将棋の盤を一瞬見ただけでどっちが勝っているか分かるそうだ。
現に10数手先をいくとおりにも読み取る力を持った方に会ったことがある。
物事を広く深くつかむ──そこには無限の宇宙がある。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

出来事

Posted by 東芝 弘明