月曜日は会議 2005年6月20日(月)

出来事

朝、8時過ぎに役場に行って配れなかった日曜版を配布した。金曜日に配れないと土日に配布できなくなった。以前は、日直に断って誰もいない役場内を配ったことがたくさんあった。
「セキュリティのために配布はご遠慮下さい」
総務課の方針がこう変わったので、土日配布をできなくなった。
今日は、午前10時から事務所で会議。午後1時30分からも事務所で会議。という1日だった。会議と会議の合間に水道事業会計決算に対する反対討論を書いた。
夕方、「赤旗」の集金に行った。年配の読者であるMさん宅に行くと靖国神社の話になった。
靖国神社は、人間であり天皇の家来であった人々を死後、神として祭っている神社だ。現人神だった天皇が、家来である戦死者に手を合わせることなどないのかも知れない。天皇にとっては、死んでも家来は、神ではなく家来に過ぎないのかも知れない。
神社の中で靖国神社の位は、第9位だという。位が低いのは、もともと人間だった人を祭る神社だからだという。神社の最高峰に伊勢神宮がある。この神宮は、天照大神をまつっている神社なので最も位が高い。ギリシャ神話で言えば、アポロンを祭った神殿ということになる。
靖国神社は、戦死者を弔うための神社ではなく、天皇制が引き起こした戦争に貢献した人々を顕彰する神社になっている。
「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」
この言葉を刻んだ広島の平和公園の慰霊碑は、はにわの家型につくられており、犠牲者の霊を雨露から守っている。この慰霊碑の成り立ちを靖国神社と比べると、そこには受け入れがたい考え方がある。
顕彰というのは、天皇のために命を捧げた人々を褒め称え、広く知らせるということである。
死者を褒め称えることに、違和感をぬぐえない。
たとえば、特攻隊員や人間魚雷の問題は、純粋な青年が死を覚悟して乗り込んだという美談ではない。片道の燃料しか積まず、もしくは着陸の車輪さえ搭載せず、敵艦に体当たりさせた特攻機。1人乗りの魚雷を作り、敵艦に体当たりするために作られた人間魚雷回天。特攻隊や人間魚雷を作った思想の根底には、赤紙1枚で招集し、青年の命を消耗品として扱った非人間性がある。
日本政府は、アジアに対し謝罪しなければならないし、若者の命を無惨にも踏みにじったことに対しても謝罪しなければならない。国民に謝らないで、「あなた方は天皇のために死んでくれてありがとう」というのは許せない。
「哀悼の誠をささげる」と小泉さんはいう。
しかし、果たしてそうだろうか。
「命を奪ってすまなかった。申し訳なかった。その結果、戦後残された家族に苦しい思い、貧しい思いをさせてすまなかった」
日本の首相としていうべき言葉は、こういう意味の言葉ではなかろうか。


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出来事

Posted by 東芝 弘明