成果主義の最終バージョン

出来事,かつらぎ町議会

3月会議の議案審議と補正予算の本会議があった。今回の議案の中には、職員の分限処分の法律が改正をうけて、法律の内容を条例に反映させるものがあった。今までは、勤務実績不良及び適格性を欠く職員に係る分限についての取扱いがあった。今回の改正によって、勤務実績評価に基づく降級と降号の取扱いが、さらに組み込まれることになった。降級というのは、仕事の肩書きと給料が下がること、降号は給与が下がることを意味する。今までは、成績によって給与が上がらなかったり、上がり幅が小さかったりしていたが、勤務成績についての分限処分が行われることによって、降格もありうることとなった。
今までも勤務実績不良及び適格性を欠く職員に対して処分が行われたら、降格もあり得た。このときも役職と給与は連動していたので、降格にともなう給料の引き下げもあり得たようだが、今後は、勤務実績の評価によって真面目に働いていたとしても評価が悪かったら、降級と降号という処分が行えるようになった。

かつらぎ町は、今まで一度も、誰一人として、勤務実績不良及び適格性を欠く職員に対し分限処分を行ったことがないようだ。質疑をしていると、従来の勤務実績不良と適格性を欠く職員の基準が曖昧だという感じだった。さらに今回の質疑では、勤務実績評価についての降級と降号の基準は明確にならなかった。課長からは、取扱いの細目は現在作成中という答弁が出てきた。

このような職員の身分にかかわることを議案に出す場合は、恣意的な判断がなされないように、細目まできちんと策定し、その細目で労働組合と合意するようにすべきだと思った。細目に渡る基準が曖昧なままでは、恣意的な判断が行われる可能性がある。ぼくは、こういうことがきちんとなされないまま、現時点で条例案を出すべきではないということを主張して反対した。
和歌山県内30市町村で、法改正に基づいて分限処分の新たな規定を盛り込んだ自治体はまだ11市町村に留まっている。改正していない理由は、まだ評価できる条件が整っていないところにあるようだ。本町の場合は、改正できる条件は整っているが、客観的な基準が曖昧なので、この際、恣意的な判断がなされないよう、勤務実績不良及び適格性を欠くケースと勤務実績の評価に対する分限処分を整理し直して、明確化すべきだと思った。そうしないと、本当に勤務意欲をそぐようなことが起こってしまうと思われる。

今回参考にしたのは、大阪の枚方市の例だった。枚方市は、かなりの時間をかけて職員組合との間で協議を重ね、誰が見ても分限処分は妥当だというような内容の細目をもっていた。これなら労働組合も納得できるだろうというものだった。

基準が曖昧なまま、分限処分の規定を導入したら、全体の奉仕者としての公務員の労働意欲をそぐことになる。宮井議員は、曖昧な規定をふまえてこのことを指摘して反対討論を行った。

成果主義を地方自治体に導入し、勤務実績に応じて、昇級に差をつけ、さらに降級と降号ができるようにしたことによって、成果主義の完成形へと移行した。これが最終バージョンだろう。このような改正を通じて、世知辛い職場が実現する。こういう方法が人間の良さを生かす制度であるとは思わない。新自由主義的な個人に着目した評価制度が日本を破壊してきたと思う。こういう在り方から社会を転換するのも野党の仕事だろう。いま、ありとあらゆる側面から政治と経済の転換が求められている。

政権交代こそが、日本を良くする道だということだ。


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Posted by 東芝 弘明