本当の地方分権の時代

雑感

役場に集金に行き、そのあと赤旗日曜版の新年号の配達に行った。
「よいお年を」「来年もよろしく」
言葉を交わしながら机の端に日曜版を置いて回った。誰の日曜版なのかが分かるように、タブロイド判を2つに折り、さらに2つに折って細長くして、帯封を巻き表に名前が表示されるようにしている。毎週帯封に巻く作業を30年間以上続けている。多くの職員が退職していった。強く印象に残る職員が何人も鬼籍に入った。そういう人の記憶がぼくの中にはたくさん入っている。

議員としての31年半は、かつらぎ町の近年の歴史を見てきた31年になっていると思う。溝端さんと南さん、山本さんと井本さん、そして今の中阪さんという5人の町長と向き合ってきたが、かつらぎ町の歴史は、国の政治の流れ抜きには語ることができないものだと思う。3割自治という言葉は古くから存在している。地方分権という言葉が使われ、自治権が拡大した側面はあるけれど、日本の地方政治は、細部にわたって国の支配の中にあった。国の政治の流れを正確に捉えられなければ、地方政治の歴史も捉えられないということを感じる。
「悪政はいつも国から押しつけれれる」ということだろう。今回の18歳以下への10万円の給付金にしても、国は基準日を9月30日にして、この基準に基づいて交付することを地方に求めた。基準日以降、離婚したり親権が移動したりしても、9月30日の時点で把握した子ども手当受給者に10万円が交付されるので、実際の子どものいる家庭に交付されないという問題が発生した。今回の矛盾は国の想定ミスだった。
「ただし、離婚等によって10月1日以降18歳以下の子どもを有する保護者となった者に対して、市町村は、当該保護者に給付金を交付するものとする。10月1日以降18歳以下の子どもの保護者でなくなった者に対して給付金を交付した場合は、当該保護者の受給資格は消滅しているので、市町村は当該保護者に対し給付金の返還を求めなければならない。」
このような一文が最初から書き込まれていれば、ヘンテコな混乱は生じなかったはずだ。

こういう判断さえ、市町村の裁量では簡単にできない縛りがある。こういう状況に対し、明石市は、市長の判断で上記に書いたルールを設定して、対応しようとしている。このような対応を国が認めるかどうかが、今後焦点となる。

自治体の戦後の歴史を理解するためには、国の政治の流れを正確に科学的に把握することが求められる。事実をありのままに見るためには連関と連鎖の中で捉える、生成・発展・消滅の中で捉える、固定した境界線はないという見方が必要になる。国の流れを縦軸に、市町村の独自の問題を横軸にして30年間の歴史を振り返れば、新たに見えてくるものもあるだろう。

本当の意味で地方分権になるためには、おそらく国民主権と民主主義、地方自治が今の憲法の理念通りになる改革が必要だろう。そうなったときに、もっと自由な、もっと豊かな地方の時代が始まる。その時代は、中小商工業が守り発展させられる個性豊かな、地域の文化が豊かに花開く時代になる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明