美化とごまかしのあいさつに寄せて

雑感

岸田首相の全国戦没者追悼式のあいさつは、昨年と90%同じ言葉だったという記事が出ている。自分の言葉で思いを綴るということは、あたかもすべきでないかのように、同じことを繰り返している。これに対して、SNS上では
「『聞く力』などないことはすでに明らかになっているが、『話す力』がないことも明らかになっている。」
「日本の総理大臣はChat GPTに代わって貰ったほうが良いんじゃない」
などの声が上がっている。

ぼくはいつも、以下のような言い方を聞くたびに、心の中から怒りが湧いてくる。今年、首相は次のように語った。
「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(たっと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。」

表現の仕方が変わっても、ずっと戦後の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたという言い方がなされる。意味はいつも同じ。戦争で亡くなった人を戦争犠牲者とも呼ばず、戦後生き残った人の苦難の歴史と合わせることによって、あたかも戦没者の命が戦後の平和と繁栄につながったということになっている。

どうしてこんな表現になるのか。なぜ日本政府は、政府の誤った戦争によって多くの戦死者と戦争犠牲者がうまれたことを国民に向かってお詫びしないのか。

この表現には、戦前の支配勢力が遂行した侵略戦争を美化しつつ、同時に軍事戦略と戦術において、ずさん極まりない戦争だったことも糊塗する意図が隠されている。なぜ美化し隠すのか。その一番の理由は、戦争を遂行した勢力と同じ勢力が日本の政治をいまも牛耳っているからではないだろうか。
大東亜共栄圏は正しかった。日本の戦争はやむにやまれぬ防衛戦争であって、日本は侵略戦争をおこなったわけではなかった。この言い方のさらにその下には、日本の戦争遂行の戦略や戦術のどこに誤りがあったのかという、より一層具体的な課題はほとんど語られない状況がある。

日本国憲法の前文に書かれている歴史認識の立場に立って、問題点を明らかにしていけば、日本の戦争は侵略戦争だったし、この戦争が如何に国民をだまし、ずさんな作戦を遂行したものであったのかを徹底的に明らかにすることができると思われる。このことを明らかにする努力は自虐史観でも何でもない。歴史の事実から何を学ぶのかということに尽きる。

戦前の日本は、国家として明確な哲学をもって国民を支配していた。それは大日本帝国憲法に現れていた。戦後、日本にはまとまった国民共通の哲学がないかのような状況になっているが、ポツダム宣言の歴史観、日本国憲法に体現されている考え方や歴史観が、なぜ戦前の日本のように国民を統合する哲学になっていないのかを考えると原因はかなり鮮明になる。

それは、戦前と同じ勢力が日本の政治を支配しており、この勢力が自分たちの戦前におこなった政治や戦争について、責任を回避するために、いろいろなことを美化したり、曖昧にしてきたことにある。
それは、戦後78年もずっと本音を隠してきたということでもある。自分たちの哲学をおおっぴらにすることができないジレンマが、『美しい日本』という安倍さんの本で語られ、靖国派+統一協会みたいな勢力の台頭を露わにした。ここに支配勢力の一部の明確な哲学があり、それは戦前とほとんど何も変わらない、変わったのはアメリカへの屈辱的な従属思想だけだろう。戦前の思想を徹底していくと、アメリカへの従属問題とこの考え方はぶつかるはずなのに、曖昧さを得意とする勢力は、国粋主義とアメリカへの従属に関わる矛盾は追及しない。

日本国憲法に基づいて国がつくられ始めたら、戦前の歴史の見直し、戦争の深い反省、諸外国に対するお詫び、国民へのお詫び、戦争遂行勢力がおこなってきた戦後賠償についても決着がつくだろう。もちろん、それには国民の運動が必要になる。核密約も明らかになり、憲法9条に基づいた平和外交への努力や核兵器廃絶への努力が、歴史の表舞台に出てくるだろう。平和外交が実を結び始めると、憲法9条の力はより一層輝くと思われる。そうなると国民の考え方の中に、緩やかではあるが日本国憲法という共通の哲学が根を張って行くようになるだろう。

哲学のない、思想のないような日本の現状は、姿を変える。物事に対してもっと明確に多くのことが語られ始め、道理のとおる日本への変化が生まれる。それは、国民主権の実質的な実現になる。

日本国憲法を実施する勢力が日本の政権を握ると、本当の意味での革命が始まる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明