日本語で文章を書こう

雑感

以前にも書いたことがあるが、今回Facebookに書いたコメントが自分でも気に入ったので、ここに記載しておきます。

日本語は、美しい表現のできる含蓄のある文章を書けるものだと思います。それは中国から入ってきた漢字にさらに多くの意味を込めたこと、さらにひらがなとカタカナを生み出して、漢字仮名交じり文が生成されたことによって、生まれたものです。
美しい表現のできる日本語は、話し言葉をそのまま映し取ることのできるものですから、汚い表現もそのまま表すことができます。それだけに文章を書く場合は、状況や思いを届けたい相手に対し、リスペクトしつつ、文章を書く努力をすべきだと思っています。

日本語は、思いをそのまま文章に表せる特徴を持っているので、書いた文章はストレートに自分自身に跳ね返ります。思いを言葉で形にするとはっきりしていなかった気持ちに形を与える場合もあります。汚い表現や相手に対する人格攻撃は、自分の心の持ち方をも決めてしまいます。汚ない言葉で文章を書く怖さを書く人は知るべきだと思います。

日本語は、同じ意味の言葉でも多様な表現ができる性質を持っています。言葉にいろいろな意味を込めて書くことによって、文章は深いものになります。そういう言語をもっているのはすごくいいと思っています。
話し言葉でMailやSNSでのやり取りを行うのも親しみがあっていいと思いますが、話し言葉にはない魅力が書き言葉にはあるとも思います。今はスタンプというものがはやっているので、感情の表現をスタンプで表したり絵文字で表したりしていますが、そういうものがなくても、言葉だけでもっと豊かに相手に伝わる文章は書けることを信じます。

「返答は文章で下さい」と言われると、「文章だけでは十分にニュアンスが伝わらないから」という意見を言って、対面及び口頭で伝えようとする傾向もあります。しかし、文章を柔軟に書ける人は、文章によって相手にきちんと伝わるものは書けるということを信じていると思います。対面と口頭にこだわる人は、文章表現を十分にできない人だとも思います。

じっくり読んで意味を深く捉えるという傾向が弱くなっています。きちんと文章を読めば書かれているのに、意を汲まないまま反論してきて、すれ違うこともあります。ぱっと読んで感情的な文章を投げつけてくるのは良くないと思います。

向田邦子さんの「あうん」を朗読しているラジオ番組があり、それを聞いていました。情景をどう描写するのかという点に、作家の個性が表れます。向田邦子さんは情景描写、しかも人間の動きのある描写の名手ですが、この人の書き方だけがすべてではないなあという思いを、朗読を聞きながら感じました。描写は描くことと描かないことによって成り立っています。情景の何を削って何を書くのか。ここに作家の個性が表れるということです。

描写というのはこんな感じ。同じ部屋の描写でも作家によって書くことは違ってくると思います。
下の囲みの文章はぼくが試しに書いたものです。

電話のベルが鳴った。真っ暗な部屋の中に大きな音が響いた。貴子は背中と前腕に鳥肌が立つのを感じた。夕食後、怪談話で盛り上がったせいだろうか。暗闇が怖い。黒い塊のように見える。6度、呼び出し音がした。貴子は受話器を取らなかった。音が止むと部屋の静かさを感じた。真っ暗な部屋でオレンジ色の電話機の着信ライトが点滅している。そのライトが消えるまでの時間、貴子は電話機をじっと見つめていた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明