日本語で文章を書こう
以前にも書いたことがあるが、今回Facebookに書いたコメントが自分でも気に入ったので、ここに記載しておきます。
日本語は、美しい表現のできる含蓄のある文章を書けるものだと思います。それは中国から入ってきた漢字にさらに多くの意味を込めたこと、さらにひらがなとカタカナを生み出して、漢字仮名交じり文が生成されたことによって、生まれたものです。
美しい表現のできる日本語は、話し言葉をそのまま映し取ることのできるものですから、汚い表現もそのまま表すことができます。それだけに文章を書く場合は、状況や思いを届けたい相手に対し、リスペクトしつつ、文章を書く努力をすべきだと思っています。
日本語は、思いをそのまま文章に表せる特徴を持っているので、書いた文章はストレートに自分自身に跳ね返ります。思いを言葉で形にするとはっきりしていなかった気持ちに形を与える場合もあります。汚い表現や相手に対する人格攻撃は、自分の心の持ち方をも決めてしまいます。汚ない言葉で文章を書く怖さを書く人は知るべきだと思います。
日本語は、同じ意味の言葉でも多様な表現ができる性質を持っています。言葉にいろいろな意味を込めて書くことによって、文章は深いものになります。そういう言語をもっているのはすごくいいと思っています。
話し言葉でMailやSNSでのやり取りを行うのも親しみがあっていいと思いますが、話し言葉にはない魅力が書き言葉にはあるとも思います。今はスタンプというものがはやっているので、感情の表現をスタンプで表したり絵文字で表したりしていますが、そういうものがなくても、言葉だけでもっと豊かに相手に伝わる文章は書けることを信じます。
「返答は文章で下さい」と言われると、「文章だけでは十分にニュアンスが伝わらないから」という意見を言って、対面及び口頭で伝えようとする傾向もあります。しかし、文章を柔軟に書ける人は、文章によって相手にきちんと伝わるものは書けるということを信じていると思います。対面と口頭にこだわる人は、文章表現を十分にできない人だとも思います。
じっくり読んで意味を深く捉えるという傾向が弱くなっています。きちんと文章を読めば書かれているのに、意を汲まないまま反論してきて、すれ違うこともあります。ぱっと読んで感情的な文章を投げつけてくるのは良くないと思います。
向田邦子さんの「あうん」を朗読しているラジオ番組があり、それを聞いていました。情景をどう描写するのかという点に、作家の個性が表れます。向田邦子さんは情景描写、しかも人間の動きのある描写の名手ですが、この人の書き方だけがすべてではないなあという思いを、朗読を聞きながら感じました。描写は描くことと描かないことによって成り立っています。情景の何を削って何を書くのか。ここに作家の個性が表れるということです。
描写というのはこんな感じ。同じ部屋の描写でも作家によって書くことは違ってくると思います。
下の囲みの文章はぼくが試しに書いたものです。
電話のベルが鳴った。真っ暗な部屋の中に大きな音が響いた。貴子は背中と前腕に鳥肌が立つのを感じた。夕食後、怪談話で盛り上がったせいだろうか。暗闇が怖い。黒い塊のように見える。6度、呼び出し音がした。貴子は受話器を取らなかった。音が止むと部屋の静かさを感じた。真っ暗な部屋でオレンジ色の電話機の着信ライトが点滅している。そのライトが消えるまでの時間、貴子は電話機をじっと見つめていた。
囲みの文章ですが、トポスと省略の技巧で表現されていますね。先ずトポスですが、此れは東芝さんの部屋を基本にしていますね。東芝さんが寝起きしている部屋に電話があるのだと思います。省略ですが、時間帯が省略されています。真っ暗な部屋という事は深夜である事が分かります。貴子は睡眠中であったのでしょう。更に貴子は部屋を真っ暗にしなければ寝られない性格である事が分かります。怪談話で暗闇が怖いのに寝る為には部屋を暗くしなければならい状況のもと、突然、深夜に電話が鳴る。普通であれば深夜の電話は身内に不幸があった場合とか考えられるのに、電話に出ない。そこで怪談話が余程怖かったんだという事が分かる。
以上の点を踏まえて僭越乍ら俺が書き換えてみようと思う。
深夜、突然の電話の音で貴子は眠りを破られた。真っ暗な部屋で電話が鳴り続けている。貴子の脳裏に身内の不幸があったのだろうかという考えが襲ったが、怖くて電話に出る事が出来ない。それは夕食後友人達と怪談話で盛り上がったからだ。その友人達も怪談話で盛り上がってお開きとなってそれぞれの家に帰って行った。貴子は一人電話の音を聞いていたが電話は鳴りやむ気配がない。暗闇が怖い。何か巨大な得体の知れない黒い塊の様なものが感じられる。真っ暗な部屋でオレンジ色の電話機の着信ライトが明滅している。貴子は布団の中から顔だけ出してそのライトを凝視していた。やがて音が止むと、部屋が急にいつにもまして静かになった。暫くすると、電話機のライトの明滅も消えた。真っ暗な部屋で貴子は目が冴えてしまって暫く眠る事が出来なかったが、昼間の疲れが出ていつの間にかまた、眠りの世界に落ちていった。
なるほど、waoさんの文章の方が引き込まれますね。少々説明的でもありますが。なかなかいいと思います。
有難う御座います。
言語はわたくしの苦手な分野です。また一寸ググった位では到底理解できません。デリダはエクリチュールとパロールとの二項対立とその差異に注目しているらしいです。書かれてはいらっしゃいませんが、その辺りのことを充分咀嚼なさった上での高尚なお考えと思います。美しい表現の出来る日本語は、話し言葉をそのまま映し取ることのできるもの。とおっしゃるのは恐らくそうなのでしょう。また、対面、口頭で伝える傾向がある、とは西欧社会のパロール本意主義を指すのでしょうか。その上で、描写の具体的実例を示されている訳ですが、浅学無知のわたくしには少し難解ですかね。とまれ、日本語の良さを再認識致しました。
デリダの評価には注意が必要です。作家によっては、筒井康隆を例にとりますが、furukawaさんは「バブリング創世記」を読まれた事はありますでしょうか。是非読まれてください。エクリチュールとパロールの2項対立ではないですよ。文章によるジャズです。まあ、実験小説(小説と言えるかどうか問題ですが)ですね。作家によりけりなんですよ、エクリチュールとパロールの2項対立はですね。つまり小説というものは何をどう書こうがいいのであって、東芝さんが此処の記事で言っておられるのは、単純に、話し言葉だけでいいのか、書き言葉が大事なんではないか、という事ですね。さりながら、俺は此処では話し言葉を連発しておりますが。小説は別です。全く別物ですね。商業誌に出す小説は真剣に書いております。
バブリング創世記の出だしだけ、ちょこっと紹介しておきましょう。
第1章
ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを生む。ドンタカタ、ドカタンタンを生めり。ドンタカタ、ドカタンタンを生みしのち四百六年生きながらえて多くの子を生めり。ドカタンタン、ドカドカ、とドカシャバを生み、ドカシャバ、シャバドスを生み、シャバドス、シャバドビとシャバドビアを生む。シャバドビア、シャバダ、シャバラとシュビラを生む。シャバドビア、シャビアとシュビラを生む。シュビラ、シュビダを生み、シュビダ、シュビドゥバを生み・・・という調子で、第五章まで続きます。最後のオチが面白いですよ。
東芝さん、俺は最近買った筒井康隆の「敵」という本が俺の書庫に入っておるのを発見しました。此れで同じ本が2冊となりました。
筒井は日本で、シュールレアリスムを標榜してますね。言語で押さえられると、シュールレアリスムに重要な無意識という概念も怪しくなってくるんでしょうか。ですから筒井の実例は有益。これも脱構築なんでしょうか。
美しい日本語の有用性という本題からずれてきましたかね。言い出した私の責任。誠に申し訳ございません。
そうですね。脱構築ですね。ただ、筒井がシュールレアリズムかというとそうとは断定出来ません。筒井は、純文学も書いております。
無意識と言う事で言えば筒井の作品で「鍵」という作品がありますので是非読まれてください。衝撃的な作品ですよ。
何をもって純文学と言うかという点は論争の別れるところですね。
横光利一は、立体派等前衛文学全てを新感覚派の名で統一してましたね。彼はフランスのシュールレアリスム会合に出席しています。横光は紛うことなく純文学ですから、日本の純文学はシュールレアリスムも含むことになります。それこそ、日本語の豊かさの証明ですかね。
度々誠に申し訳ないです。トリスタンツァラとの対談だったのですかね。通訳は岡本太郎だったとか。余談です。
度々の脱線、本当にお詫び申し上げます。唯、わたくしの前回の脱線、障害者の不妊処置問題は、後に赤旗日曜版に掲載されましたので、少し早かったということで、今回ともどもご容赦ください。
成る程、横山利一はシュールリアリスム会合に出席していましたか。此れは初耳でしたね。新感覚派とシュールリアリスムですか。どう結び付くのだろう。まあ、兎に角ですね、筒井は毀誉褒貶の激しい人で、純文学の人からは激しく攻撃されていましたね。特に「大いなる助走」で松本清張が激怒していましたね。筒井は、スラップステックでデビューした人なんですが、注意すべきは、いきなり「虚構船団」などから入らない事ですね。「七瀬三部作」あたりから読むのがいいでしょう。話をもどすと、シュールリアリスムも純文学に包摂されると言うのは、俺には無かった視点です。貴方は文学にかなり詳しい人ですね。これからも色々とご教授下さい。ああ、最後に一言。俺は筒井康隆を尊敬しておりまして、これまた俺の尊敬する井上ひさしが、彼を評してこう言っています。
「グラウンドで我々が走っていると後ろから彼が遅れて走ってくるのが見える。だが彼は我々から遅れて走っているのではなく、我々が周回遅れで走っていたのであり、彼はとっくに我々を追い越していたのである」
東芝さん、また筒井康隆の話になってしまって申し訳ない。此処の記事の趣旨から大分脱線してしまいました。許してね。
横山では無く横光利一であった。川端康成と並び称される新感覚派の重鎮だ。今気づいた。ああ、恥ずかしいなあ。どれ、寝るか。お休みなさい。
なかなか面白いですが、ついていきかねる面もあります。
とにかく、日本語という文章は(というか日本語でしか文章は書けませんが)、自分に向かう刃をもっていると感じます。相手に対して口汚い言葉を投げかけると、たとえそれが人格攻撃ではなかったとしても、同時に自分の何かを傷つけます。しかも傷は深部に達します。そのことを文章を書くすべての人は知るべきです。
冗談半分で、Twitterというわずか140字制限という枠の中で、証明もなしに相手に悪罵を投げつけている人々は、恐ろしいことですが、自分自身を深く傷つけています。自分を傷つけていることを自覚していない点も恐ろしい。バーチャルな世界で遊んでいるからいいやと思っている人々が増えるに従って、リアルな世界も相応に非寛容になり、荒んできました。自傷傾向が犯罪につながった人もいるような状況です。
匿名性であろうがなかろうが、相手に届ける文章には、相手へのリスペクトとテーマに対する真摯な姿勢が必要だろうと思います。
老婆を斧で殺害すれば、その行為は同時に自分をも殺害するのだと言うことを忘れてはならないと思います。
老婆を斧で殺害すると言うのはドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの事でしょうか。此の小説の舞台は帝政ロシアのサンクトペテルブルクですよね。ドストエフスキーが「地球上でもっとも現実離れした土地」と呼んだ、今の日本で言えば「東京」になるだろうか。そう言う意味で言えば全くその通りですね。東芝さんの記事の内容を無視して勝手な事を書いてしまって申し訳ない事をしましたが、鹿児島では、ラスコリーニコフ的な現象は無いと思われますが、魔都東京はまさに東芝さんの言われる現象が渦巻いて、現実的にラスコリーニコフが跋扈しているのでしょう。現実に殺人事件も起きている訳だし。そうゆう現実を無視して勝手な事をノー天気に書き散らかして申し訳ありませんでした。
ラスコーリニコフの間違いでした。
いいえ、waoさんの展開は、楽しいですよ。
ラスコーリニコフが、都会にはたくさんいますね。ネットの中にも。自分を傷つけていることを自覚していないことも、多いと思います。
自分のことが一番よく分からないのが人間です。分からないままバランスが崩れ、もって行き所のない状況に陥っている人もいますね。
人間の意識は、外部からの反映なので、意識の内部に入っていくと混沌としてくると思います。引きこもりの状態というのは、外部からの刺激が極端に少なくなるので、結局は精神的な不安が増大して、自分を傷つけてしまう人が多いと思います。
外を歩き、太陽の光を浴び、外界からの刺激に反応しながら生きていくのが、いいと思います。
成る程ですね。
誠に申し訳ございません。脱線させたことを重ね重ねお詫び致します。その上で恐縮ですが、一般システム理論の本の引用。平衡状態、ホメオスタシスを作り出すエントロピーという傾向があり、これはシステムの混沌と解体をもたらす。が、開放システムは環境システムとの間でエネルギーと情報の交換を行って、エントロピーを停滞させる。これで理解出来ます。しかし反面過度のコミュニケーションによって疲弊します。その時、自己防衛のために、引きこもりするのだと思います。引きこもりでなくとも、精神科の隔離療法が有効なことは確かです。度々重ねて反論のようなコメ、申し訳ないです。反論のつもりはないのですが。
体の反応の仕方は、ド素人なので知らないことばかりです。ホメオスタシスのことを少し、検索してみて思うのは、平衡状態は、福岡伸一さんがいう動的平衡状態なのかなと思いました。極めて激しい外界に対する反応のなかで、平衡状態を保つようになっているのではないかと思います。
書かれているように過度のコミュニケーションによる疲弊によって、引きこもりが始まるのはそのとおりだと思います。
しかし、同時に引きこもりが長くなると、ホメオスタシスに異常が発生するのかなとも思います。長く引きこもっていた人たちは、精神的に不安定な人が多く、自分を深く傷つけている人が多いようです。
回復には、時間をかけた緩やかな信頼できる人間関係の構築が必要だというのは、引きこもり支援センターから聞かせていただいた話です。
私のような者の至らぬコメに、ご返事誠に有難うございます。取材までして頂き、恐縮です。
いえいえ、いろいろなことを書き込んで下さい。多くの人のコメントがblogの発展につながります。これからもよろしくお願いします。
東芝さん、お久しぶりです。
以前のコメントが何処にあるか分からなくなって、此処にコメント致します。
5月に俺の原稿をお送りします、との事であったんですが、改めて読み直してみると詰まらん小説に思えてきて、お送りするのを断念致します。然も、読み直してみて、あちこち間違いだらけなのを発見しました。競争倍率3000倍という狭き門を通過するには此れでは駄目です。編集者の「下読みの鉄人」という人からゴミ箱にポイされた可能性が高いです。例えばですね、こういう風に間違っているんです。
その日は良く晴れていた。朝食を済ませ、赤マントの捜索に表に出た。気温は高いが、風が強くて気持ちのいい日であった。私は奄美の風が好きだ。大好きだ。
神社に行ってみた。赤マントは居なかった。私は赤マントがよく出没する名瀬小学校に行ってみた。赤マントは居た。校門のはす向かいの文房具屋に夏の日差しを避ける様に赤いマントを着て何時もの恰好でしゃがみ込んでいた。赤マントの前にはカラの鯖缶が置いてある。赤マントは熱い日差しに耐える様に瞑目していた。風がひよひよと吹いている。
「赤マントさん」私は赤マントに声をかけた。
「うん?」赤マントはうっすらと目を開けた。何だか眠たそうな様子だ。
「どうした」
「横に座ってもいいですか」
「此処は誰の場所でもない。天下の公道だ。座りたければ座ればいいだろう」
「熱くないですか、その恰好は」そう言い乍ら私は赤マントの横に座った。
「生憎と俺は此の服しかないんでねえ。お前が何をしに来たかは分かっておる。お前は自我に目覚めたな。お前の目は此の世の謎を解き明かさんとしておる目だ」赤マントはニッと笑って、唇を舌で嘗め回した。「思うところを申してみよ」
東芝さん、これの何処が間違っているか、分かりますか。
「熱くないですか、その恰好は」
という所は、
「暑くないですか、その恰好は」
が正しいのです。こういう具合に間違うと、もうその時点で落第です。友人は、ああ、そうですね、拙いですね。と言っておりました。1次審査は通っていると思いますよ、と友人は言ってくれるのですが、俺は「下読みの鉄人」の時点でゴミ箱に行った可能性が高いと思っております。
以上の様な訳で、とても人様にお見せできる代物ではありません。
然し、落選しましたが、次回作を構想中です。友人が申すには、推敲は100回するのだそうです。それが当たり前だと。それと、1回脱稿したら暫く寝かして置く様にとの事であったので、次回作は余裕をもって書いてみようと思っております。
済みませんが以上の様な事ですので勘弁してください。
その日は良く晴れていた。
の行頭の空欄がどうしても開けられない。どういう訳だろう?
はてな?
はてな?
とは、どういう意味だろう。
その日は良く晴れていた。
の行頭の空欄がどうしても開けられない。どういう訳だろう?
というのは、文字の1字下げのことでしょうか?
そうです。
1行改行して、行頭の頭の空欄が空けられないのです。
多分、此処のコメント欄のシステムの問題だろうと思われます。
ションベンで眼が覚めて、煙草を1服したら眼が冴えてしまったぜ。
あああああああ。
いいいいいいい。もっと!
あれ? 出来るな。オカシイなあ。
もう1度。
出来るか。
出来ない。やっぱりなあ。
もう1度。の所の「も」を1字下げをやったのだが、行頭の1字下げが出来ませんでした。
此れでは小説が此処では書けない事が分かりましたが、行頭を無視すればいいだけの事なので、そういう設定で書こうかと思います。
例えばですね、世の中にはケータイ小説というのがあって、
俺の友人が「野いちご」という所に小説を書いておるんですが、小説の出だしの行頭が開くようになってるんです。
グーグルで検索してみて貰えば分かります。
グーグル 野いちご hitoritabi
タイトルは「ケイトの甘い肉体」というのが出てきます。ポルノではありません。ミステリー小説です。
腹減って、焼きそばを作って喰った。
誤字脱字だらけの小説の評判が凄く良くて、続編を書いてくれという注文がきたので落選した俺の小説の続編を書く事になりました。
つまり、誤字脱字を訂正して、或る所に掲載されたのです。何故だか女性に評判が良くて、続編を書く事になりました。然し、文學界も諦めた訳ではありません。
waoさんすごいですね。活字になって本に載ったということですよね。ということは、ぼくも読めるということですか。
残念ながら東芝さんは、読めません。俺も1冊しか持っていないからです。東芝さんが、読む為には俺の1冊を東芝さんに差し上げて初めて読む事が出来るのですがその1冊も鹿児島で読み回されている状態です。ですから、俺の没原稿をプリントアウトして送るしかない訳です。分かりました。プリントアウトして郵送致します。
時間を頂ければ1冊をお送り出来ますが、返して貰わなければなりません。すると俺の住所がバレます。すると、さつま揚げの返礼品が来る可能性があるので俺は非常に困る訳です。
勝手な次第で申し訳ないです。
なるほど。いろいろなことを考えるわけですね。生きている間にリアルにお会いするのもいいかと思いますが。
生きている内に1度お会いする事があるでしょう。
あと20年程あります。
東芝さん、プリントアウトしようとしたらインクが切れて、エラーになりました。Canonにブラックインクを注文しましたので暫くお待ちください。
何とですね、ブラックだけでは駄目で、他の色も全部変えなきゃ駄目だとう事が分かり、全インクの交換という事になりました。値段ですが8540円だという事です。明日、午後、電機屋が配達に来る事になったのですが、ブラックはまだ俺のCanonプリンターに残量があったのでこれで出来るかみてくれるそうです。その方法で駄目なら全インクの交換だそうです。
なんちゅう事だ。ブラックの出力のインクは他のインクも使われているらしくて、ブラックだけ残っていても駄目らしいのだが、まあ、見てみます、ちゅう事であった。では、俺の残ったブラックインクは処分するのか? なんちゅう勿体ない事であろうか。地球環境にこれでいいのだろうか?
Canonの注文はキャンセルした。やっぱ、地元の電気屋さんが親切でいいわ。
ほんでもって、明日、プリントアウトの件は解決するので、すぐ印刷して、東芝さんに俺の原稿を郵便局から郵送出来ます。お騒がせしました。なんちゅうか、インクのバカ野郎!
まあ、なんちゅうか、コスパの点で言えば1年以上激しく使ったので、8540円ちゅうのも大した事はないのであるが、プリンターというものはインクで儲けをあげているんだな。絶対。そういう意味では、何故いつもブラックが余るのであろうか? 然もデカイ。地球環境を考えると、無駄な気がする。俺がインクの使い方を間違っておるのであろうか? 無くなったインクだけを交換すればいいだけの話の様な気もする。然し、面倒くさいのである。無くなったインクだけをいちいち交換するのも俺の性分に合わない。俺は基本的に面倒くさがりの性格なのである。ちゃんと警告は出るのである。どの色が無くなりかけていますよ、と。それを俺は(それがどうした)バカ野郎と思って、使ってみると、ちゃんと使えるではないか。ぶはははははははは、と思っていたら、今回こうゆう目にあった。面倒臭がりが裏目に出た。此れからは、無くなった色をいちいち交換しょう。ああ、面倒臭い事だ。モノクロで印刷出来るはずなんだが、やった事がない。多分、明日、電気屋はそのやりかたを伝授しに来るはずだが、モノクロで印字出来れば、只、ちゅう事になる。ブラックはあるのだから。ああ、お金がかからん様であればいいのだが。俺はカラー印刷などには興味が無いのである。では、最初からモノクロプリンターを買えば良いではないか、と言われても、俺の高性能プリンターは、スキャナー、あとなんだったけな、コピー機と、プリントアウトの3点セットの奴を買ったから、特にコピー機でカラー印刷する時だけ、ああ、便利だな、と思うぐらいである。そもそも、モノクロプリンターなんて今時あるのだろうか?
俺は家電製品のトリセツを読んで使った事が無い。
今、Canonのプリンターを起動させてみたら、「コピー」「スキャン」「プリント」と、タッチパネルに出た。改めて見てみると、「プリント」の所に何やら、写真の様なもののイラストが出ておる。その画面の下に4つ程、歯車や携帯電波のマークやクリップのマーク、〇の中にiという訳の分からんものが表示されておる。何の事やらさっぱり分からん。
何か色々と出来る様だが、俺は思うのだが、そんなに色んな機能を付けてどうすんの? ちゅうのが正直な気持ちだ。分からんでも、不自由を感じた事が無い。
それは、ガラホもスマホもそうだ。トリセツを読んで使っていない。出来る奴に頼んでやってもらっている。別に不自由を感じない。世の中便利過ぎるのもどうかと感じている俺だから、ただ、ああ、便利だな、と思うのはAmazonで本を買う時ぐらいだな。
因みにこないだ買った東芝さんの書いておられた「セミナー講師の教科書」ちゅうのがAmazonで中古品だったが、220円であった。便利だなあ。
今夜は鹿児島はムシムシして暑い。寝苦しい夜になりそうだ。糞して寝よう。
今、電気屋さんが帰って行った。
俺のプリンターは復活して、おまけに小説をプリントアウトして帰って行った。
矢張り、全インクの交換になった。残ったインクはどうするのか? と聞いてみたら、ちゃんとリサイクルにまわすシステムがあるのだという話であった。それならば宜しい。そうゆう訳で印刷が終わったので、A4サイズの右上の肩にドリルパンチで穴を開け、紐で括って茶封筒にしまって、切手を貼って和歌山の東芝さんの住所に送るだけの作業になった。
ところが、俺は肝腎な事を聞く事を失念してしまった。モノクロ印刷の仕方を聞くのを忘れてしまったのだ。まあ、いいや、これで当分、印刷は困らない。ああ、良かった。
東芝さん、俺の小説の辛口コメントをお待ち致しておりますので宜しくお願い致します。
東芝さん、今、中央郵便局から帰って来ました。速達で出してきたので、明日の月曜日に俺の小説が届きます。面白くなかったら御免なさい。
何で俺のプリンターのインクがこんなに高いかというと、俺のCanonプリンターのインクは6色なのです。以前使っておったプリンターは4色であったので安かった。その代わり今のプリンターは色が鮮やかです。こんな高価なものはいらんかったな。
さて、ションベンして寝よう。今日はコーヒーを飲み過ぎたので寝られるかな。
あ、腹減ったのでインスタントラーメンを作って喰ってから寝よう。では東芝さん、ムチャス・アディオス・ベサメ・ムーチョ。なんじゃ、そりゃ。
ラーメンが旨かった。
今、改めてプリンターの電源を入れてみたら、Wi-Fiも使える様になっておった。Wi-Fiで何をするのであろうか? 俺はPCはWi-Fiを使っておるが、何か出来るのであろうか?