質問が終わった
8日は自分の一般質問。8日の朝、議会事務局に行くと、予定原稿に対する答弁書が戻ってきた。これを読むと、ICT支援員の配置については、配置していなくても十分対応できていますという回答とともに、ただ教職員に対するアンケート調査と他の自治体への調査についてはするというものだった。しかし、実際の質問では、「他の自治体の調査」は「紀の川市のI調査」という答えに変わった。
事前の打ち合わせのときに、町当局は、ぼくの質問に対して基本的な見解を語ってくれなかった。回答は答弁書の段階になってようやく開示された。ヒアリング時、ぼくは何度も尋ねた。
「どうして黙ってしまうのか。なんとか言って下さい」
2つの質問とも、当局が実施している事柄なので、基本的な考え方があるだろう。何を尋ねても考え方を開示しないのは不思議だった。
答弁書を受け取ってから本番の10時までは1時間10分あった。答弁書を読みながら、実際の質問はどう組み立てようか思案した。こう考えはじめると予定原稿からの離陸が始まる。質問の提案が実現しないのに、予定原稿を読み上げるのは馬鹿らしい。「実現しない」という答弁書を見たら、そこから議員が考えはじめるのは当たり前だろう。
町当局。一般質問については、身をよじってかわしたいというのが本音だろうか。
でも、真摯に向き合うことを切にお願いしたい。精魂傾けて準備する議員の切なる気持ち。こっちは一球入魂の質問準備をしているつもり。
質問を通じて、町民のためによりよいものをつくるという共通点があれば、
「僕たちはこの問題や課題についてこう考えています」とか、
「この件について、この点は譲れません」
とかをヒアリング時に率直に語りあえるはずだと思っている。率直な意見交換ができれば、質問原稿も答弁書も互いに見せ合うことは必要ないとも思っている。ぼくは、質問の全容を全面的に開示している。隠し球なんてまったくない。トランプでいえば相手にこちらのカードを全部見せている。空は青く雲一つない状態。
実現しない答えが見えていたので質問の仕方を工夫した。その結果、今回もまた予定原稿とは違う質問になった。もちろん、こういうことが起こりうるので、
「この一般質問原稿は予定原稿です。今まで時間の制約もあって、原稿どおり質問できたことはありません。本番の受け答えによって質問内容は変化します。ご了承下さい。質問が通告の範囲を超えることはありません。よろしくお願いします。」
という文章を原稿のトップに書いておいた。「変更予告」を書いたので精神的には楽になった。
ICT支援員配置の問題では、なぜ教育委員会はこんなにもかたくななのか、という点は質問を通じて浮き彫りにできたと思っている。会計年度任用職員の待遇改善の質問は「改善したい」という答弁をしてもらった。これは嬉しかった。