福井健次元九度山町議の告別式

雑感,出来事

元九度山町議の福井健次さんが亡くなった。連絡が入ったのが日曜日、コンサートが始まる直前だった。午後6時からのお通夜に行き、今日の午後1時からの告別式に参列した。
九度山町長がいたので、横に座らせていただいた。この方は福井議員と一緒に議員として活動していた時期がある。
「一緒に活動されていたときも面白かったですよね」
「面白かった」
「頑固でしたよね」
「言い出したらきかんところがあった」
こういうやり取りを交わしていると式の時間となった。
38歳で町議会議員となり、7期28年間九度山町議を務められた。それから16年が経っている。戒名の中に一徹という言葉が入っていた。まっすぐに筋を通してきた福井さんらしい戒名だった。福井さんのつれあいのRさんの思いのこもったものだと感じた。
「本気で闘う気持ちがあるのか」
女性たちの相談に乗っていた場所で、福井議員がこう言ったことがあった。聞いたぼくはたじろいだ。「一徹」という精神はこういうところに表れていた。

南海電鉄の労働者で電車の運転手だった。
「あの細いレールの上を脱線もしないで運転するのは難しいでしょ」
こんな冗談に、「ほんま難しいわ」と言葉を返す一面もあった。目尻にしわを寄せて笑う顔は優しかった。
パソコンの黎明期からパソコンを駆使し、インターネットが大きな波になる前からパソコン通信で知り合った人に会いに行ったりする、技術の大好きな人でもあった。「九度山民報」を発行し、住民から信頼を得て日本共産党ここにあり、という活動をしていた議員だった。

議員になったのは統一地方選挙だったから1983年だった。この年の1月にぼくは共産党の勤務員になっていた。それから7年経ってぼくも議員になり、福井さんと議員歴が重なった。その期間は21年間に及ぶ。福井さんが引退となったのは66歳。あと2年ほどでぼくは福井さんが議員だった時期の年齢を超える。

南海電鉄の運転手をしながら、自分の空いた時間を全部といっていいほど議員の活動に費やしていた。家族の負担も大きかっただろうと思う。
時代はどんどん流れていく。その人の活動は、残された人々の記憶の中にある。それも時代とともに押し流されていく。
議会の記録を丹念に読み解いていくと、日本共産党の議員の場合は、克明に議会の記録の中にその姿が写し取られており、足跡は鮮明に残されている。その人の闘った姿を掘り起こす意味はあるだろう。そんなことを考えつつ会場をあとにした。

ご冥福をお祈りします。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明