AKOのNEW YEARコンサート

雑感

あやとこうじおさまろ(あやとこうじおさむかな?)のNEW YEARコンサートが佐野にある公民館分館で行われたので観に行った。楽しい時間を共有させてもらった。音は楽しい、同時にそれが学問として成立している。「学問」なのにその分野を示す言葉に「楽」がつくのは音の世界だけ。演奏し歌っている出演者の人たちを観ていると、楽しい気持ちが伝わってきた。

わが娘はストレスがたまってくると家に来て、リコーダーを吹きまくっている。情熱大陸なんてお手の物。何時間も超絶技巧に挑戦して吹いているのを聞いていると、音楽の「楽」を感じる。
音の世界は、音とは何かという点で極めて規則的な音の法則で成り立っている。この音が紡ぎ出す世界に限界があるのかを問えば、それは「ない」ということになるのだろう。最近の楽曲はコンピューターの力も借りてつくられているので、この音の世界にさらに幅が出てきている。人間が思いつかない音の組み立てがなされ、わざと不協和音なども活用したり、超絶なジャンプの仕方をしたりして、聴く人に新たな物を届けている。ただ、ぼくなどは日本語の発音や意味などを壊してしまうような曲にはついて行けない。

「あやとこうじおさむ」さんたちは、言葉を大事にして歌が作られていた、ぼくたちが共有していた時代の曲を歌ってくれた。歌というのは、誰にとっても青春時代というものがあって、自分たちが生きていた10代の初めから20代の初めぐらいまでの曲が、その人の人生にとって深い意味を与えてくれるようなところがある。みんなカラオケに行ったら、自分たちが生きていた小学生から大学生時代の歌がよく歌われる。そこになんだか生きてきた人生の意味があるように。
昭和がいいわけではないだろうが、歌詞がとても大事にされていた時代の歌は心に届く。

参加していた人たちの年代に合わせて曲を選んで歌ってくれたのかも知れない。心地よい時間と空間がそこにあった。歌ってくれた歌の中でちあきなおみさんの「喝采」が今日はなんだか胸にしみた。降り注ぐライトのなか、歌う恋の歌と女性歌手の孤独が胸にしみる歌だ。
玉置浩二さんのかっこよさが語られて「田園」を歌ってくれた。この歌は、それこそぼくが結婚して以降の30代半ばを過ぎた頃の歌だが、玉置浩二さんが町工場でがんばるドラマの主題歌だった。サバカレーが大ヒットして工場が大忙しになる話が盛り込まれていたので、「田園」を聴くとサバカレーという言葉が浮かんでくる。
ビートルズの昨年12月リリースの新曲が披露された。ジョンレノンのテープからジョンレノンの声を引っ張り出して、生きているポール・マッカートニーとリンゴスターが演奏し、亡くなったジョージ・ハリスンの音も合わさっているという「ナウ・アンド・ゼン」。中澤君がビートルズの大ファンなので聴かせてもらえた曲だった。

コンサートが始まるときに、先輩議員の訃報が届いた。いくつか連絡してちょっと会場の外に出たりしていた。この気持ちと「喝采」がどこかでリンクしていたのかも知れない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明